表紙絵は畔亭数久がお手本としたのではないか?と思われるChéri Hérouard作品の中から干支に合わせた作品を選びました。
趣旨:
『特集 謎の人物、畔亭数久に迫る』と題して、畔亭数久の人物像に迫りたいと思います。
前半は、私(龍)の拙い研究の成果として畔亭数久=喜多玲子(須磨利之)であると考える様になった根拠を示し、後半には数久作品の(恐らく)全てを掲載しております。
活動期間:
昭和29年2月~昭和31年4月までの約2年間。
※但し、後半は奇譚クラブが発禁となり長期休刊の為、実質的には約1年程度しかありません。畔亭数久と喜多玲子の活動期間の推移と仕事量※年月は雑誌のx年x月号を基準にしています。実働は二カ月以上前と思われます。
※KK通信は雑誌より先行していますので翌月分に加算しています。
※仕事量はカラーの場合モノクロの三倍、執筆は概ね2ページで絵1枚換算。
この様にCiscoSystemsの旧ロゴの様な2つ山に成ってしまいましたが、風俗草紙休刊期間のタイムラグや職場の移行期間等を考慮して平準化すれば違和感も無いと思います。実際、昭和29年9月号に掲載された牧場物語の挿絵にはサインの下にJune 5,1954と記載されており、つまり印刷・発行日の約三ヵ月前に書かれたものである事が判ります(それでもなお昭和29年9月は量が多過ぎた為かラフ画まで掲載しており苦労がうかがえます)。
従って、雑誌が3ヶ月遅れである事を考慮すれば、須磨利之の「あまとりあ」入社タイミングもピッタリと合致します。
昭和29年9月号23ページ、下の挿絵にJune 5,1954の記載。つまり6月5日に描かれた作品が三ヶ月後の9月号に掲載されている事が判る。
昭和29年9月号147ページ、畔亭数久としては珍しいラフ画を掲載している事から多忙な活躍ぶりが窺われる。
それ以降、主に昭和39年以降の奇譚クラブに掲載されている畔亭数久作品は全て再掲載です。
例:
昭和39年2月号 P39 -> 昭和30年1月号 P28
昭和39年2月号 P45 -> 昭和29年11月号 P14
昭和39年3月号 P34 -> 昭和29年11月号 P14
昭和39年3月号 P39 -> 昭和30年3月号 P16
昭和39年3月号 P41 -> 昭和29年11月号 P14
昭和39年3月号 P43 -> 昭和30年5月号 P61
昭和39年3月号 P44 -> 昭和30年1月号 P28
昭和39年3月号 P45 -> 昭和30年1月号 P28
昭和39年4月号 P42 -> 昭和30年3月号 P17
昭和39年4月号 P43 -> 昭和30年3月号 P17
昭和39年4月号 P47 -> 昭和29年12月号 P17
昭和39年4月号 P48 -> 昭和29年11月号 P15
昭和39年5月号 P37 -> 昭和30年3月号 P16
昭和39年5月号 P45 -> 昭和29年11月号 P15
昭和39年6月号 P43 -> 昭和30年3月号 P17
昭和39年6月号 P47 -> 昭和29年12月号 P17
~~~中略~~~
昭和41年7月号 P22 -> 昭和30年5月号 P138
画風:カストリ時代の喜多玲子(須磨利之)作品のうち畔亭数久の画風に酷似している例:例1:
この絵は左右で比べると顔の雰囲気、上下で比べると鼻の描き方(玲子作品と数久作品の男性)がそっくりだと思います。
左上:喜多玲子 奇譚クラブ昭和26年9月号 P89
右上:畔亭数久 奇譚クラブ昭和30年1月号 P176
左下:畔亭数久 奇譚クラブ昭和30年1月号 P282
右下:畔亭数久 奇譚クラブ昭和30年2月号 P176
例2:
この絵は、全体のバランスや、胸の描き方がそっくりだと思います。
上:㐂夛玲子 奇譚クラブ昭和26年11月号 目次
下:畔亭数久 奇譚クラブ昭和30年1月号 P176
私が 畔亭数久 = 喜多玲子 だと考える様に成ったのは、上絵例2の目次にデカデカと描かれた赤い裸婦の絵を見た瞬間でした。
当初、私はこの絵を見て当然の事として畔亭数久だと殆ど確信していたのですが、作者をよく見ると喜多玲子(㐂夛玲子)で、その直感的な違和感・疑問が出発点となり調査を開始しました。
初掲載で摘発、発禁
この特徴的で奇抜な責絵は奇譚クラブ本誌への初掲載にして早速摘発理由となって発禁処分を受けています。
作品全体を通して画風には統一感が有り顔の表情はどれも須磨が好きだったChéri Hérouard作品に似ていますが、構図には全く一貫性が無く、奇抜なアイデアによる責めや死をテーマにした作品などを好むキャラクターが演出されている様に思われます。責絵に挿入シーンが一つも無い事も特徴であり好感が持てます。こういった畔亭数久の特徴は、後の裏窓(かっぱ)に継承されているのではないかと思います。
当時の須磨利之は奇譚クラブを辞め、続いて風俗草紙では摘発され、仕事面で迷走していた時期でもあり、自身の描きたい物を自由に描ける様に成った半面、奇譚クラブへと出戻りした事や、私生活の状況などから、奇抜で猟奇的・廃頽的な作品に走っていたのかもしれません。彼らしい細部に渡る繊細なタッチなど凡人には不可能な作品を多数遺していると思います。
筆跡:
赤丸で囲った“れ”の文字に注目下さい。
上:奇譚クラブ 昭和29年9月号 P147 挿絵 “SUK”サインの有る畔亭数久作品
下:風俗草紙 昭和29年1月号 巻頭3色刷り口絵 “れいこ”サインの有る喜多玲子作品
“れ”の文字アップ
左:奇譚クラブ 昭和29年9月号 P147 挿絵 “SUK”サインの有る畔亭数久作品
右:風俗草紙 昭和29年1月号 巻頭3色刷り口絵 “れいこ”サインの有る喜多玲子作品
この様に、畔亭数久と喜多玲子の筆跡は酷似しております。
人物:
畔亭数久(クロテイ・ガズヒサ / クロテイ・スク / グロテスク 等、絵の印象に合わせて読み方を変えていた)は生没不明の謎の人物とされ、突出した奇抜な責め絵や猟奇的・頽廃的でありながら繊細で緻密な絵を描く画家として一部の愛好家に知られています。
畔亭数久がKK通信にて数久操の名で初登場した際に京都在住の女流責絵画家として紹介されていますが、既に上記しました通り活動期間や筆跡や画風等を元に私(龍)の主観的で帰納的・蓋然的な推測によると喜多玲子(つまり須磨利之)のペンネームの一つではないか?と思われます。
須磨は複数の画風を持っていて、それを使い分け別人に見せ掛ける事で、あたかも大勢の画家が奇譚クラブを作っているかの様に見せ掛けていた画家の21面相と言える存在ですから、一人の画家を作り出す事など造作無い事でしょう。
須磨が奇譚クラブを去ったのが昭和28年中頃、畔亭数久の登場が昭和29年2月、ちょうどこの8ヵ月間の須磨は冒頭に掲載したグラフの通り風俗草紙で仕事をしています。その風俗草紙が昭和29年2月号(つまり1月発売時)に摘発され、不定期刊行に移行し10月で廃刊します。
つまり風俗草紙の摘発に伴い一年経たずに出戻りする際、今迄とは極力異なる画風で自由奔放かつ自身が好きだったChéri Hérouardの画風を真似て人物像を作り出していたのではないか?と思います。
畔亭数久が奇譚クラブでの活動を終える昭和31年初頭は須磨が裏窓(その前進である「かっぱ」)の編集長を始めた年と重なり、ここでも整合性が取れます。
なほ、昭和39年頃から畔亭数久が奇譚クラブに再登場しますが、既に冒頭で例示しました通り、その絵は全て昭和29~30年に掲載された作品の再掲載である事を確認済みです。
この様に、画風と活躍時期と筆跡が揃って須磨利之とピッタリ一致しますので、私(龍)としては確信をもって畔亭数久は須磨利之であると言えます。
サイン:
初期
中期
後期
純和風の絵に用いられたサイン
陰刻印影
陽刻印影
その他のサイン
作品:
作品は画集、漫画/劇画、小説の挿絵など多岐に渡りますが、ここに掲載した物が恐らく全てです。
初投稿:昭和29年2月 KK通信
奇譚クラブ本誌初掲載:昭和29年3月号(発禁処分)
この絵が原因となり3月号は発禁処分を受け発売4日目に回収されました。その為、流通量は少ないと思われます。この事実はKK通信3月号P4下段に記載が有ります。
昭和29年4月号 注:左 <- 右
前号で発禁処分の原因と成った為、ペンネームを数久操から畔亭数久に変更したのではないか?と思われます。但し画風は変えずサインもSUKのままです。
この絵はグロ過ぎて不評となり、以後、類似の絵は登場しません。
昭和29年5月号
戯文 黒髪
切腹幻想
通り魔 注:左 <- 右
懸賞入選:半公刑 挿絵 注:左 <- 右
北国湯場哀話 挿絵 注:左 <- 右
昭和29年6月号
戯文戯画 縄について
画集
昭和29年7月号
画集
戯画 回転
昭和29年8月号
戯画戯文 水着
画集
あるマゾヒストの手紙から 挿絵(サインがSUKでなくK.Sですが画風が酷似していた為掲載。但し挿絵として文面の雰囲気に合わせて普段の少女的な顔から大人の雰囲気の顔に切り替えているのではないか?そういう意味では須磨であっても畔亭数久としてではなく、K.Sはクロテイ・スクと一致はするが別のペンネームや合作なのかもしれない。 -> 他のK.S = 杉原虹児作品とは異なる雰囲気を感じるという私の感覚によるものですが・・・赤い部分を須磨利之が、黒い部分を杉原虹児が描いたのでは?という気がしています。)
六月号読者通信欄I.J氏の手錠と水着の着想より
昭和29年9月号
牧場物語 挿絵
懸賞入選 続・半公刑 赤札囚 挿絵
身を灼く女 挿絵(挿絵のみ掲載)
戯画「どうしよう」
昭和29年10月号
【絵物語】彼女をめぐる三人の男
戯文戯画 舞妓
夏子抄 「罪ある女」の日記 本文割愛、挿絵(サインはKAZU)のみ掲載
変の字夜ばなし 本文割愛、挿絵(サインはKAZU)のみ掲載予定
昭和29年11月号
戯画 意地わる責め
キャンプの想い出(コミック形式 注:左 <- 右)
三つのシークレット 挿絵
昭和29年12月号
戯画戯文 くすぐり責め
画集
百合子の冒険 挿絵
懸賞入選 続・半公刑 脱走囚 挿絵
浣腸遊戯について 挿絵
昭和30年1月号
墨ぬり
戯画 アイス・スケート
懸賞入選 『色惚けのペーヂ』 挿絵
百合子の冒険 挿絵
畔亭雑記、ページ下は前月号の百合子の冒険6~7コマの間に挿入
緊縛に関する十二章(本文割愛、絵と写真のみ掲載)
黄昏(本文割愛、挿絵のみ掲載)
女灸点師(本文割愛、挿絵のみ掲載)
昭和30年2月号
戯画 雪国だより
百合子の冒険 挿絵
昭和30年3月
娘相撲
私の体験記 挿絵 注:左 <- 右
百合子の冒険 挿絵
寄宿舎での体験 挿絵
昭和30年4月号
孤獨 (本文省略、挿絵のみ掲載)
昭和30年5月号(発禁処分)
笞のあと
煙草 京都・R大生アイデア
続々・女性切腹断想 本文割愛、挿絵のみ掲載
懸賞原稿 佳作第一席 白面鬼 挿絵のみ掲載
絵物語 スチュアデスの夢
---以下、白表紙時代---
昭和30年10月号
昭和30年11月号
昭和31年1月:かっぱ(後の裏窓)創刊、同年9月より須磨利之が編集長に。
昭和31年4月号
これ以降、畔亭数久の新作無し。