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龍之巣
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劇画と絵画と漫画の境界線
 先日、私が「海野やよい」の漫画をM女の視点を理解する目的で可也以前から愛読している事を知り合いに伝えましたところ意外だった様で驚かれました。

 「海野やよい」は自他共に認める真性M女であり、もちろん商業誌の漫画家ですから(私の様に脳内垂れ流しではなく)好き勝手に書いている訳ではなく編集部の意向などを取り入れて描いているのですが、ともあれ、そこに真性M女の業が滲み出てくる訳で、それを私は拾っている、つまり絵を見ている訳ではなくストーリーや、その奥にある真性M女の想いを読もうとしています。

 それはさておき「海野やよい」から数十年遡って奇譚クラブの時代に付いてです。

 今回のお題に書きました劇画とは漫画の一分野であって絵画又は絵画調の絵で描かれた漫画の事だと解釈しています。

 では、奇譚クラブに毎号の様に登場している四馬孝の作品は劇画なのか絵画なのか?という疑問が湧いてきます。

 絵画と劇画の違いは、絵が主か、ストーリーが主かの差ではないか?とも思いますが、氏の絵にはストーリーが付される事が多く、そのストーリー有っての絵でもあり、そのストーリーが絵に凝縮しています。

 仮に劇画であるとするなら漫画でもある訳で、雑誌への個人からの投稿という形ですから今で言う同人的な漫画という解釈が成り立つのではないでしょうか?

 ところで、現代の同人誌で“やおい”と呼ばれる分野が有りますが、その元の意味はま無しち無しみ深長or無し構成(女性向けの実用的な絵がメイン)の漫画やラノベの事で主にBL(ボーイズラブ:言い換えれば男色や男娼)的な絵(だけ)で構成されたものです。その多くは少女マンガに登場する様なイケメン風の鋭角的な線で描かれた男性が絡み合ったものですが、より劇画的というか絵画的な絵も多く見受けられます。

 つまり、四馬孝作品と“やおい”同人誌の違い、境界線は何か?というのが今回のお題です。もちろん男性向け女性向けの違いは有るでしょうが、そういう事を云いたい訳では有りません。“やおい”作品にはSM的な表現(多くは首輪&リードロープ)なども多数登場します。

 もっとストレートに云うなら実用メインの劇画風でSM的表現を含んだ絵を中心とした作品集という点で四馬孝作品と“やおい”系同人誌は非常に似通っているというか、一つの側面から見れば全くイコールではないか?とも思う訳です。

 例えば、やおい系同人誌を見る時には、どちらが攻め側で、どちらが受け側なのか関係が最重要視されますが、これが途中で逆転するのは好まれません。同様に、書くまでも無く四馬孝作品ではどちらが責め側で、どちらが受け側なのか明確であり、立場が逆転する事は(私が知る限り)有りませんでした。四馬孝作品にはM女だけを描いたものも多数ありますが、そこには「誰かによって拘束された」という前提があって初めて成り立つ絵ですから、その誰かを自分自身や依頼を受けた調教師などに置換するなどして楽しむ事が前提な訳で関係を重視している事に変わりありません。

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