以前書きました『なぜBDSMは日本とドイツで盛んなのか?』の記事ですが、当初は純粋にタイトル通りの疑問が出発点と成ってブログ記事を書き始めましたが、調べれば調べるほどに戦後日本に於ける秘匿検閲とプロパガンダが発端ではないかと思う様に成りました。その根拠は冒頭の記事にも書いておりますが一言で言えば国立国会図書館に保管されているJCS1380/6 及び JCS1380/15に集約されていると言えそうで、その骨格は当時のAP通信社編集局長Byron Price(1891–1981)が起こしており、具体的な手法は当時のスタンフォード大学教授で洗脳・催眠の専門家・第一人者であったErnest Ropiequet Hilgard (1904-2001)が担っていました。
その結果、戦後のメディアはほぼ完璧かつ全面的に連合国側に操縦されていたのですが、時代と伴にそれがメディア業界全体のルールとして定着してしまい、一人歩きしはじめ、或いは連合国の占領が終了した後に(連合国による)舵取りを失って無軌道に迷走を始めた事がメディアが壊れた原因ではないかと思う様に成りました。逆に言えば、舵取り役を置いては成らないというルールも決めており、つまり、一手に舵をとって操縦すれば特定の方向に誘導可能ですが、その舵を手放した後には再び握ってはいけないというルールによって、元の位置には戻れなくなった訳です。ここで私は戦前の(公表された形の)検閲が有る状態を100%良い状態と書いている訳ではありません。戦後、日本人には情報を取捨選択する権利が無く、連合国の秘匿された検閲によって取捨選択され、それが元々日本人の自由意志であったかの如く情報操作されており、かつ、メディア自身がそれに気付いていない(又は、気付いていても無かった事にしたい)点を挙げたい訳です。
初期の構造としてはメディアに携わる一部の管理職のみが連合国側からの教育指導(具体的な教育方法は後述)を受けて動いており、かつ、末端の人々には連合国側の教育指導方針である事を伝えてはならないと教育されていた為に、それをあたかも自社の編集方針として部下に伝えてOJTの連鎖が始まり、それが業界の空気として定着し、或いは空気によって人が選別されてゆき、メディアに携わる末端の人々は連合国側の意向である事を認知する事が出来ないまま成長し、管理職となり、代々受け継がれるという連鎖が起きている様です。占領初期には占領軍による検閲行為がメディアに従事する人々に伝わっていた様ですが、少しづつ影を消していった様です。
その結果、御存知の通り、昭和の時代にはアメリカの映画(西部劇やディズニーなど)が流行し、アメリカやイギリスの音楽(ビートルズやロック/ロカビリー)が流行し、アメリカのスポーツ(野球)が流行し、アメリカの食品(マクドナルドや学校給食のパン)が流行し、アメリカのファッション(ジーンズなど)が流行し、それらが日本人の深層心理にまで根付き・・・メディアは連合国の文化一色に染められてゆき、それがカッコ良くて日本に元から有った物は劣るんだという方向に、あたかもそれが主流であり自然にそうなっているかの如く巧妙に誘導され、そういった物が日本に元から有った文化と融合して平成文化の基礎を形成していると言えるのではないでしょうか? 色々な国を旅行すれば判りますが、日本ほど近代アメリカの文化が浸透している国は非常に少ないのです。これらの現実は連合国以外の国に旅行してみないと気付く事さえ出来ませんが、明らかにメディアの影響と言えるでしょう。結果、日本の伝統文化を継承してきた職人さん達は廃業してゆき、アメリカで10年前に流行したものの売れ残りが日本で売られる様に成りました。
メディアと同様に、教育や教科書問題に付いても同様の事が言えるでしょう。戦前に有った道徳教育(修身など)は軍国主義は悪というキャッチコピー(しかしアメリカは世界最大の軍事大国であり、大量殺戮兵器=原爆を使った唯一の国であり、一般市民を連日絨毯爆撃した唯一の国でもあり、またキリスト教を暗黙の国教としている国でもある)を使って全面廃止され無くなってしまった訳で、イギリス植民地で行われていた様なキリスト教=道徳という宗教道徳教育も戦後日本では政教分離によって国として禁止されている為、現在の日本は道徳の無い無軌道な国に成っている訳です。従って親などからの習慣や風習の伝達行為が道徳教育の代わりに成っている訳ですが、戦後日本は男尊女卑というキャッチコピーの下に男女平等という文化を導入されて両親が共働きして子育てに割く心の余裕が無くなり、家長制度廃止や核家族化と一体と成って習慣や風習を代々受け継いで行われる道徳教育を妨げる社会構造に作り変えられた訳です。
ネットが無い時代はメディアが全ての情報を握っていましたが、ネットの普及によってメディアによる情報操作が暴露され始めたと同時に、ネットの情報は多勢に無勢な面もあり、中華××共和国の様な人口の多い国による情報操作には対抗が難しい面が有ります。掲示板にサクラが多数居れば、それが真実であるかの様な操作は容易です・・・これは今回の話題から外れているか・・・
---書き掛け---
その結果、戦後のメディアはほぼ完璧かつ全面的に連合国側に操縦されていたのですが、時代と伴にそれがメディア業界全体のルールとして定着してしまい、一人歩きしはじめ、或いは連合国の占領が終了した後に(連合国による)舵取りを失って無軌道に迷走を始めた事がメディアが壊れた原因ではないかと思う様に成りました。逆に言えば、舵取り役を置いては成らないというルールも決めており、つまり、一手に舵をとって操縦すれば特定の方向に誘導可能ですが、その舵を手放した後には再び握ってはいけないというルールによって、元の位置には戻れなくなった訳です。ここで私は戦前の(公表された形の)検閲が有る状態を100%良い状態と書いている訳ではありません。戦後、日本人には情報を取捨選択する権利が無く、連合国の秘匿された検閲によって取捨選択され、それが元々日本人の自由意志であったかの如く情報操作されており、かつ、メディア自身がそれに気付いていない(又は、気付いていても無かった事にしたい)点を挙げたい訳です。
初期の構造としてはメディアに携わる一部の管理職のみが連合国側からの教育指導(具体的な教育方法は後述)を受けて動いており、かつ、末端の人々には連合国側の教育指導方針である事を伝えてはならないと教育されていた為に、それをあたかも自社の編集方針として部下に伝えてOJTの連鎖が始まり、それが業界の空気として定着し、或いは空気によって人が選別されてゆき、メディアに携わる末端の人々は連合国側の意向である事を認知する事が出来ないまま成長し、管理職となり、代々受け継がれるという連鎖が起きている様です。占領初期には占領軍による検閲行為がメディアに従事する人々に伝わっていた様ですが、少しづつ影を消していった様です。
その結果、御存知の通り、昭和の時代にはアメリカの映画(西部劇やディズニーなど)が流行し、アメリカやイギリスの音楽(ビートルズやロック/ロカビリー)が流行し、アメリカのスポーツ(野球)が流行し、アメリカの食品(マクドナルドや学校給食のパン)が流行し、アメリカのファッション(ジーンズなど)が流行し、それらが日本人の深層心理にまで根付き・・・メディアは連合国の文化一色に染められてゆき、それがカッコ良くて日本に元から有った物は劣るんだという方向に、あたかもそれが主流であり自然にそうなっているかの如く巧妙に誘導され、そういった物が日本に元から有った文化と融合して平成文化の基礎を形成していると言えるのではないでしょうか? 色々な国を旅行すれば判りますが、日本ほど近代アメリカの文化が浸透している国は非常に少ないのです。これらの現実は連合国以外の国に旅行してみないと気付く事さえ出来ませんが、明らかにメディアの影響と言えるでしょう。結果、日本の伝統文化を継承してきた職人さん達は廃業してゆき、アメリカで10年前に流行したものの売れ残りが日本で売られる様に成りました。
メディアと同様に、教育や教科書問題に付いても同様の事が言えるでしょう。戦前に有った道徳教育(修身など)は軍国主義は悪というキャッチコピー(しかしアメリカは世界最大の軍事大国であり、大量殺戮兵器=原爆を使った唯一の国であり、一般市民を連日絨毯爆撃した唯一の国でもあり、またキリスト教を暗黙の国教としている国でもある)を使って全面廃止され無くなってしまった訳で、イギリス植民地で行われていた様なキリスト教=道徳という宗教道徳教育も戦後日本では政教分離によって国として禁止されている為、現在の日本は道徳の無い無軌道な国に成っている訳です。従って親などからの習慣や風習の伝達行為が道徳教育の代わりに成っている訳ですが、戦後日本は男尊女卑というキャッチコピーの下に男女平等という文化を導入されて両親が共働きして子育てに割く心の余裕が無くなり、家長制度廃止や核家族化と一体と成って習慣や風習を代々受け継いで行われる道徳教育を妨げる社会構造に作り変えられた訳です。
ネットが無い時代はメディアが全ての情報を握っていましたが、ネットの普及によってメディアによる情報操作が暴露され始めたと同時に、ネットの情報は多勢に無勢な面もあり、中華××共和国の様な人口の多い国による情報操作には対抗が難しい面が有ります。掲示板にサクラが多数居れば、それが真実であるかの様な操作は容易です・・・これは今回の話題から外れているか・・・
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