※テストを受ける際の注意として、最初に性別を選択して下さい。
というか、以前も受けたのですが思い出したように・・・
以前は三和エロティカのHPに有ったのですが、今は三英出版のHPにあります。
以下、私の結果です。
※ここに書かれた内容は、私個人の見解であって、必ずしも確定的・断定的なものではありません。
質問や相談など有りましたら、コメントください。
ここで扱う『スパンキング(Spanking)』とは臀部の二つの膨らみ(buttocks)を叩く行為ですが、傷害事件に該当する物は対象外です。
※合意の無い第三者が叩く行為は犠牲者の訴えで傷害事件となり、また、合意のうえであっても恒久的に残る障害を伴う物は傷害事件となる可能性が有ります。
0.役割
スパンキングでの主役は叩く人(スパンカー)と叩かれる人(スパンキー)の2種類に別れます。この他に助手が居る場合や野次馬が居る場合もありますが、それらを何というか筆者は知りませんので、単に助手と野次馬としておきます。
0-1.スパンキー(Spankee)
『スパンキー』と日本でカタカナに成った外来語には二種類あり、この項ではSpankeeの方を扱います。
Spunky:勇気のある、元気なという意味。
Spankee:スパンキングでの叩かれ役。
悪い事をしてお尻を叩かれている一般人をスパンキーとは言いません。あえて叩かれる(かもしれない)状況に惹かれてしまう人をスパンキーと言いますが、少なくとも表面上は叩かれたく無い姿勢を示し、実際に叩かれたくは無いと思っている人も居ます。叩かれたくは無いけれども叩かれるかもしれない状況や他人が叩かれている光景に惹かれるという訳です。
ディシプリン スパンキング専門のスパンキーには性的な要素を100%否定する人も居ますが、これが退行によるものなのか、それとも根源的に全く異なる欲求からの渇望なのか、今後探究してゆきたい分野です。とは言え、やはり性癖である場合も多くエクスタシーやオーガズムを感じる人も居ますが、生殖機能が未発達の年齢まで退行する人も多く、退行現象を伴う場合に性癖と言えるかどうか疑問が残り、愛情への渇望と言えるかもしれません。
日本では『キー』と略す事があります。
日本のSM界では叩かれ役をスパンキーとは言わずM女やM嬢あるいはM男などと言うと思います。
欧米のBDSM界では叩かれ役をSpankeeとは言わずにBottomやSubmissiveと言う事が有る様です。
0-2.スパンカー(Spanker)
『スパンカー』と日本でカタカタに成った外来語(Spanker)には古くからいくつかの意味が有りましたが、ここではスパンキングでの叩き役としてのスパンカー(Spanker)に付いて扱います。
お仕置きとして尻を叩いている一般人をスパンカーとは言いません。あえて叩く(かもしれない)状況に惹かれてしまう人をスパンカーと言います。
娘や妹の成長に歓びを感じる父兄の様な感覚で見守る事が好きなスパンカーも居ますが、性癖である場合も多くエクスタシーを感じる人も居ます。
筆者のケースでは元々SMで行っていたスパンキングと、後に養女の教育の一環として始めたスパンキングが、同様に前者が明らかに性癖であるのに対して、後者を性癖と言えるのか疑問ではあります。
日本では『カー』と略す事があります。
日本のSM界では叩き役をスパンカーとは言わず御主人様や女王様などと言う事が多いと思います。
欧米のBDSM界では叩き役をSpankerとは言わずにTopやDominantと言う事が有る様です。
0-3.スイッチ/リバース (Switch / Reverse)
上記のスパンキー/スパンカーの役割を交替出来る人を、スイッチ 又は リバース と言います。
0-4.アシスタント/助手
叩かれる前の心理的なケア(良くも悪くも)や、拘束、道具の準備、撮影、叩かれている最中に押さえる役など、スパンカーの補助をする助手が居る場合もあります。個人で行われるスパ行為に助手が居る事は稀と思いますが、教会や刑場で行われた刑罰としてのスパンキングでは、助手が活躍する場面も多くあったと思われます。
0-5.野次馬
家庭では兄弟姉妹や親戚や近所の人々など、学校や教会や刑場などではより多くの野次馬がスパンキングの様子を観戦していたはずで、本人達にとっては心理的なプレッシャーや羞恥心を高める効果があると思われます。
1.スパンキングの分類
1-1.ディシスパ(Discipline spanking)
ディシプリン・スパンキングの傾向として、下記の4タイプが有ると思いますが、幾つかの、又は全ての要素を等しく持っている場合もあります。
1-1-1.躾けを目的とする本来のディシスパ
子供が悪い事をした時に、親、教師、家庭教師、聖職者などから純粋に躾け目的で尻叩きされる、いわゆるお仕置きですから、叩かれる側は悪い事をした子ではあっても、本来はスパンキーである必要はないのです。ただ、躾けられた体験をもとにスパンキーへと変貌してゆくかもしれません。
ディシスパ(Discipline spanking)の元祖で、家庭で行われていた懲罰を特にドメスティック・ディシプリン(Domestic discipline)と言いお尻叩きを中心に行われていた様で、他に学校で行われた物や、刑場などで行われるものがあり、家庭や学校ではスパ後にコーナータイム(後述)が設けられる事が有った様です。西洋での歴史は非常に古く壁画などにも痕跡が有り起源を特定する事は困難かもしれません。西洋では、ごく最近になって子供への体罰の有効性に疑問をもつ勢力が登場してAnti-Smacking法に代表される様に禁止される方向へと進みつつあります。
日本では平安時代に始まり明治維新で廃止される迄の間、芭蕉の句にも詠まれた『鵜坂神社の尻打祭』があり、当時は日本全国に知れ渡っていた様です。毎年の水無月(6月)の16日に、その年に親しく交流した男性の数を婦女に言わせて、榊の鞭でその数だけ婦女の尻を叩き戒めていたらしいです。数を忘れたり嘘を言ったりして減らすと天罰が当たると言われていた為、実際より多く申告する婦女が多かったと伝えられています。※鵜坂神社の石碑に尻打ちの経緯などが刻まれている。
1-1-2.赦しを目的とするディシスパ
大人であっても悪い行いに対して行われるスパですが、躾けられて改心する事よりも、人には言えない行いに対する贖罪や懺悔によって赦しを請う気持ちからスパに至ります。聖書を基にした宗教宗派のいくつかにも、この傾向が見られ、このタイプのスパでは、お仕置きの後に赦される事が最も重要になると思います。
上記1-1-1に書きました『鵜坂神社の尻打祭』は、こちらにも分類されると思います。
1-1-3.愛情を目的とするディシスパ
昔から「ダメな子ほどかわいい」と言われる様に、叱られる様な事ばかりしている悪い子供は、どういう訳か親や教育者に可愛がられる傾向があり、その光景は目に焼き付いて離れなく成ってしまい、大人に成ってからも可愛がられたい衝動に駆られてわざと悪い事をしてしまい、叱ってもらう事で愛情を受けたい衝動に駆られてしまいます。お説教されたり、お尻を叩かれると、子供の頃に戻って叱ってもらい、反省したら、その後には優しく抱きしめて、よしよしって可愛がってほしいと思うものです。子供の頃に良い子を演じて来た為に、悪い子なのに要領良く大人に接近する子に比べて愛情が少ないと感じて構ってもらいたい寂しさからイタズラしてしまう子が典型例だと思います。
1-1-4.懲罰行為を目的とするディシスパ
大人であっても悪い行いに対して行われる懲罰ですが、その悪い行い自体がスパへ誘導する為にスパンカーを挑発する目的で、わざと悪戯をして、その結果お尻を叩かれる事を目的としたロールプレイ的なものであり、欧米では特にこれをアダルト・スパンキング(Adult spanking)と言う事が有る様で、最後にコーナータイム(後述)を含む事が有ります。
性癖としての要素を含む事が有り後述のラブスパやSMのスパとの境界線が最も曖昧なディシスパですが、性行為には至らず、プラトニックな高揚感を維持する事もあります。
M女性がディシスパをするとこうなってしまう傾向が強いと思います。
1-2.ラブスパ (Love spanking)
ラブスパンキング/Love Spanking という言葉は、和製英語である可能性が高いです。英語圏では性衝動を伴うスパンキングをエロティック・スパンキング (Erotic spanking) と表現する様ですが、その場合は冒頭の表にある下半分に該当しますからBDSMのスパンキングを含む為、SMとは違うと主張する日本のラブスパは、西洋のエロティック・スパンキングとは異なるカテゴリに分類されるでしょう。つまり日本独自のスパンキングカテゴリかもしれません。多くの場合、軽いハンドスパンキング(後述)の後にラブラブな感じで性行為に移行したり、ベントオーバー(後述)や四つん這いの姿勢で叩きながらの性行為をする事に成りますが、先述のディシスパ的な行為の後に性行為へと移行する場合もラブスパと言われる事があり境界が曖昧です。
日本でも、古くは正月に七草粥を焚いた炊いた薪で女性の尻を打つと健康な子が生まれるという平安朝の公家の遊びが知られていて、日本書紀にも登場する飛鳥坐神社の『おんだ祭』(夫婦和合の祭事にて女性の尻を竹で叩く)、住吉神社の『嫁ごの尻たたき』など、懲罰的な意味合いよりも夫婦和合と子孫繁栄を目的とした女性に対する尻叩きが古くから行われていた様ですから、日本人のDNAには古くからラブスパの文化が根付いていたのかもしれません。
世界的に有名な、そして歴史的には紀元前から伝わると言われているカーマ・スートラ (कामसूत्र)には、性行為を行う上での方法論の一つとしてスパンキング的な物がいくつか掲載されていますが、叩く部位が尻ではないのでラブスパと言えるかどうか微妙です。
1-3.SMのスパンキング (Spanking BDSM)
SMのスパンキングは広範囲に渡り、上記の全てを含めてSMと言う人も居ますが、一般的にはバラ鞭や一本鞭と言われる柔らかい素材の鞭で理由も無しに一方的・強制的に叩かれる行為として誤認されていると思います。実態は千差万別ですから一言で説明出来るものではありません。上述したディシスパやラブスパとの違いをあえて挙げるとすれば、決められた暗黙のルールやストーリーが無い(AND/OR)ルールやストーリーを自由に設定出来る事だと思います。
私の経験上の話ですが・・・SMでは鞭を使うと簡単にオーガズムに達し中には何度も気絶する程の絶頂を味わう人が居ますが、ディシスパ(特に上記の1-1-1.躾け、及び、1-1-3.愛慾のタイプ)では幼 児退行を伴う事が非常に多く、その為かオーガズムに達する人は少ないと思います。
2.手順と姿勢
大まかな流れとして、下記の4パターンが有ると思いますが、それぞれ微妙に融合していたり、視点によって違って見える事も有ると思います。
1:悪癖発覚 -> 説教 -> 尻叩き -> 沈静、又はセックス
2:悪癖発覚 -> 叩きながら説教 -> 沈静、又はセックス
3:加虐衝動 -> 誘導 -> 尻叩き -> 沈静、又はセックス
4:被虐衝動 -> 誘導 -> 尻叩き -> 沈静、又はセックス
2-1.スパに先立つ行為
戦いで言えば前哨戦、性行為での前戯にあたる部分がスパでは非常に重要で、ここに一番時間を掛ける人も多い様です。
2-1-1.悪癖発覚
社会通念上は悪いとされている事や、予め決められていたルールを破る行為など、スパンカーがそれに気付いた時が、スパンキングの始まりと言えるのではないでしょうか?そして、気付かれない為の努力をしている様でいて見付かってしまうのがキーさん、キーさんの何気ない一言を拾って炙り出してしまうのがカーさんとも言えそうです。では自己申告は?というと『2-1-4.被虐衝動からのスパ誘導』に書いた事と重なるケースもあり、表向きは発覚の様なのだけど実際はキーちゃんがスパ誘導しているって事なのかも?しれませんよね。
2-1-2.お説教
親が子供の躾けを行う時と同様に、口頭で悪い行いに対する反省すべきポイントなどを指摘してゆき、お仕置きが必要な理由を納得させます。理不尽な内容ではなく相手が納得する事や、お説教の最中に折れない事などが重要です。
2-1-3.加虐衝動からのスパ誘導
カーさんは、特に何もなくとも、なんとなく、お尻を叩きたい気持ちに成る事が有ります。
叩きたい衝動に駆られ、必要以上にルールを厳しくしたり、監視の目を厳重にして悪い事をより多く見付けて、相手に叩く理由を説明したり、お説教に結び付けて相手がスパンキングされる事も仕方ないと納得させ同意する様に誘導してゆきます。
2-1-4.被虐衝動からのスパ誘導
キーさんは、特に何も無くとも、なんとなく、お尻を叩かれたい気持ちに成る事が有る様です。
叩かれたい衝動に駆られ、特に悪い事をした訳ではないとしても、又は悪い事をしたのだけど説教だけで終わってしまい、キッチリ御仕置きしてもらっていない時などに、相手をスパンキングへ誘導しようとして、細かなイタズラを繰り返したり、自分から悪い事をしたと告白したり、叩いて欲しいと直接告白するなどして相手をスパに誘導します。
2-2.お尻叩きの姿勢
2-2-1.OTK (Over the knee)
叩き手の膝の上にうつ伏せで乗ります。
お互いの体温を感じながらの親密なスパンキングに成り易い姿勢だと思いますが、ケイン等の長めの道具を使うには距離が近過ぎ不向きです。ハンドスパや小型のパドルなどに向いた姿勢だと思います。
2-2-2.ベントオーバー (Bent over)
ケイン等の長めの道具や、ボート漕ぎバドルの様な大型の道具を使ったスパンキング向けの姿勢です。
両手を机やベッドや壁などについて、膝を伸ばし両足少し開いて床につけ、叩き易い様に後方にお尻を突き出します。
四つん這いとは異なる姿勢ですが、スパンキングを行う上での差異は、ほとんど有りません。
2-2-3.お腹の下に枕 (Pillows under the tummy)
ベッドにうつ伏せに成り、お腹の下に枕を敷いて、お尻を高く上げます。
2-2-4.四つん這い (Doggy style)
両手両足を床についた姿勢です。ラブスパ向きの姿勢と言えるかもしれませんが、スパンキングを行う上でベントオーバーとの差異は、ほとんど有りません・・・若干、ベントオーバーよりもお尻の位置が低いのですが、膝を伸ばすと同程度の高さまで上げられ、より凌辱的と言えるかもしれません。
2-2-5.足首を掴み、膝を伸ばす (Grabbing ankles)
立位で膝を伸ばし、腰を折って両手で両足首を持ち、お尻を上方に高く上げます。
2-2-6.オムツ換えの姿勢 (Diaper position)
仰向けに寝て、両足首を上に持ち上げた姿勢です。
2-2-7.スパンキングベンチ (Spanking bench)
長椅子、木馬や鞍置きなどの大型家具やスパンキング専用に作られた固定具に四肢を固定して行いますので、逃げたり、ガードする事などは出来ません。
2-2-8.二柱 (Between pillars)
あまり一般的では無いようですが、筆者の趣味で掲載しました(笑)
古典馬術のPiaffe between pillarsの様な二柱調教を模した物と思われる2本の柱に拘束した立位での尻叩き。
O嬢の物語での鞭によるスパンキングシーンが有名です。
2-3.沈静
2-3-1.コーナータイム (Corner time)
欧米式の懲罰的なスパンキングの後に行われる心の沈静タイムですが、必ずしも行われるとは限りません。
部屋の隅や壁際などで、心を落ち着かせ、叱られた意味を反芻し、自己反省する為の時間で、日本で行われていたバケツを持って廊下に立たされる行為に近いと思います。
お尻を出したまま行われる事もあり、見せしめ的な意味合いや羞恥責めの要素を含む場合があります。
2-3-2.冷却
ベッド等にうつぶせに成り、火照った臀部に濡らしたタオルをあてて冷やしますが、必ずしも行われるとは限りません。注意点として冷却はスパ直後のみで赤紫のお尻を早く治したい時は後ほど少し温めた方が治りが早いです。
上記のコーナータイムと同様に心の沈静タイムにも成りますが、より甘える事が出来ます。
2-3-3.甘々タイム
頭をなでる、ハグをする、話を聞いてあげるなどの行為から、ペッティング(Petting)に近い行為まで、お互いの関係によって様々だと思います。この流れから性行為へと発展した場合にディシスパかラブスパかで意見が割れそうです。
3.道具による分類
スパンキングの道具は、あげたらきりが無いのですが、ここでは代表的な物を紹介します。
3-1.ハンドスパンキング (Hand spanking)
手を使って叩きます。スマッキング(Smacking)と同義がもしれませんが、スマッキングの場合はビンタの様な行為も含む様です。
着衣の上から、下着の上から、地肌へ直接など、色々なケースが考えられますが、着衣の上からでは叩く側の手が痛く成るばかりで、かつ、お尻の肌の状態も判らず、双方にとって辛いお仕置きに成りそうですから最初のウォーミングアップくらいに留め、下着を脱ぐ事が困難でも、Tバックの様にして、お尻の膨らみだけでも露出させて直接叩く事が双方にとって有益ではないでしょうか?
余談ですが、伝統的なWASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント = 白人エリート支配層の保守派)の家庭では、ハンドスパは野蛮な人のする事で、WASPがすべきではない。WASPは鞭などの道具を使うべきだとされていた様です。ハンドスパはお尻を触る行為でもあり卑猥だとして敬遠されていた様です。
3-2.ケイニング (Caneing)
ケイン、元は籐や竹の茎を棒状にした物を鞭の様にして使っていました。今でも籐や竹が使われる事も多いのですが、耐久性や実用性の面から欧米ではグラスファイバー製のケインやカーボンファイバー製のケインが増えてきています。スパンキング用の道具としては最も強力な道具の一つと言えると思います。OTKでケインを利用するには尻とは反対側にある手にケインを持ち縦に痕が残る様に叩くと比較的スマートに叩けると思います。
3-3.パドリング (Paddling)
英国ではなくアメリカが起源と言われている事から、恐らく、ロデオの競技の一つ、バレルレース用のパドルバット(Dogging paddle/Dogging bat)が起源ではないかと推察します。一方でボート漕ぎのパドルが英国海軍で懲罰用に使われており、これが起源とも言われています。素材や形状から推察しますと革製パドルの起源が米国、木製パドルの起源が英国なのかもしれません。とすれば英国風を気取るなら木製、米国風のゴムやエナメルや金属との調和を求めるなら革製パドルという事に成るのかもしれません。スラッパー(Slapper Paddle)もパドルの一種でスラッピング(Slapping)と言ってしまうと『ビンタ』の事に成るので注意が必要です。
※バレルレースとは、アメリカ産のクオーターホースと言う瞬発力の強烈な馬に(多くは女性)が跨り、バレル=樽を廻るスピードを競う派手な競技で、昔から、この競技用の馬の尻を叩く際にパドルが使われています。ロデオでは唯一の女性向け競技でもあり、かつ、馬ではありますが尻叩き用のパドルともなれば、これはもう必然的にスパで利用されてしまう事になるでしょう。
3-4.トゥジング (Tawseing)
幅広の革の先端が二つのベルト状に分岐している形状で、スコットランドの学校で生徒の躾け用に鞭として使われていた事が知られていますが本来叩く部位は尻ではなく掌であった様です。ブリティッシュ(イングリッシュ)スタイルの乗馬鞍に使われる腹帯(或いは腹帯延長ベルト)に素材と形状が似ていますので、ここに起源を求める事が出来るのかもしれません。
3-5.バーチング (Birching)
日本では一般的ではありませんが、欧米諸国では樺や柳の木の枝を束ねた竹ホウキに似た外見の枝鞭というものが家庭や学校での御仕置きの道具として一般に普及していた様です。
3-6.クロッピング (Cropping)
欧米では鞭の中でも短くて硬いタイプの鞭をCropと言い柔らかい素材の鞭(下記のWhip)と区別しています。Cropは日本のSM界やスパ界では乗馬鞭と言われている物に相当しますが、乗馬をする人達の間では乗馬鞭ではなく短鞭(たんべん)と言われていて後述のWhip(長鞭やストックウィップなど)と区別しています。
3-7.ウイッピング (Whipping)
SM(BDSM)でのスパンキングに使われる事が多いと思われがちですが、乗馬鞭などは教鞭の際に利用されていた鞭でもあり、ディシスパでの利用も(相手に偏見が無ければ)問題無いでしょう。
乗馬鞭の他にゴム鞭(米国キリスト教系の一部の宗派で日本にも信者が多数居る宗教団体で子供の躾目的で利用されている事が知られている)などがスパ用として利用されます。SM用の鞭としては、バラ鞭、一本鞭(長・短)、キャットオブナインテールなどがSM的なスパで利用される代表的な鞭だと思います。これらの鞭も元をただすと刑罰用や狩猟鞭等に起源を見い出せると思います。
3-8.日用品
櫛、コーム、ブラシ、スリッパ(Slippering)、靴べら、布団叩き、箒(ほうき)、定規、ベルトなどの日用品が利用される事もあり、ディシスパ=日常の躾け行為で道具を使う場合は日用品に成る事が必然的に多いのが現実だと思われます。それぞれ叩き方の名前が有りますが面倒なので割愛します。
表紙絵は畔亭数久がお手本としたのではないか?と思われるChéri Hérouard作品の中から干支に合わせた作品を選びました。
趣旨:
『特集 謎の人物、畔亭数久に迫る』と題して、畔亭数久の人物像に迫りたいと思います。
前半は、私(龍)の拙い研究の成果として畔亭数久=喜多玲子(須磨利之)であると考える様になった根拠を示し、後半には数久作品の(恐らく)全てを掲載しております。
活動期間:
昭和29年2月~昭和31年4月までの約2年間。
※但し、後半は奇譚クラブが発禁となり長期休刊の為、実質的には約1年程度しかありません。畔亭数久と喜多玲子の活動期間の推移と仕事量※年月は雑誌のx年x月号を基準にしています。実働は二カ月以上前と思われます。
※KK通信は雑誌より先行していますので翌月分に加算しています。
※仕事量はカラーの場合モノクロの三倍、執筆は概ね2ページで絵1枚換算。
この様にCiscoSystemsの旧ロゴの様な2つ山に成ってしまいましたが、風俗草紙休刊期間のタイムラグや職場の移行期間等を考慮して平準化すれば違和感も無いと思います。実際、昭和29年9月号に掲載された牧場物語の挿絵にはサインの下にJune 5,1954と記載されており、つまり印刷・発行日の約三ヵ月前に書かれたものである事が判ります(それでもなお昭和29年9月は量が多過ぎた為かラフ画まで掲載しており苦労がうかがえます)。
従って、雑誌が3ヶ月遅れである事を考慮すれば、須磨利之の「あまとりあ」入社タイミングもピッタリと合致します。
昭和29年9月号23ページ、下の挿絵にJune 5,1954の記載。つまり6月5日に描かれた作品が三ヶ月後の9月号に掲載されている事が判る。
昭和29年9月号147ページ、畔亭数久としては珍しいラフ画を掲載している事から多忙な活躍ぶりが窺われる。
それ以降、主に昭和39年以降の奇譚クラブに掲載されている畔亭数久作品は全て再掲載です。
例:
昭和39年2月号 P39 -> 昭和30年1月号 P28
昭和39年2月号 P45 -> 昭和29年11月号 P14
昭和39年3月号 P34 -> 昭和29年11月号 P14
昭和39年3月号 P39 -> 昭和30年3月号 P16
昭和39年3月号 P41 -> 昭和29年11月号 P14
昭和39年3月号 P43 -> 昭和30年5月号 P61
昭和39年3月号 P44 -> 昭和30年1月号 P28
昭和39年3月号 P45 -> 昭和30年1月号 P28
昭和39年4月号 P42 -> 昭和30年3月号 P17
昭和39年4月号 P43 -> 昭和30年3月号 P17
昭和39年4月号 P47 -> 昭和29年12月号 P17
昭和39年4月号 P48 -> 昭和29年11月号 P15
昭和39年5月号 P37 -> 昭和30年3月号 P16
昭和39年5月号 P45 -> 昭和29年11月号 P15
昭和39年6月号 P43 -> 昭和30年3月号 P17
昭和39年6月号 P47 -> 昭和29年12月号 P17
~~~中略~~~
昭和41年7月号 P22 -> 昭和30年5月号 P138
画風:カストリ時代の喜多玲子(須磨利之)作品のうち畔亭数久の画風に酷似している例:例1:
この絵は左右で比べると顔の雰囲気、上下で比べると鼻の描き方(玲子作品と数久作品の男性)がそっくりだと思います。
左上:喜多玲子 奇譚クラブ昭和26年9月号 P89
右上:畔亭数久 奇譚クラブ昭和30年1月号 P176
左下:畔亭数久 奇譚クラブ昭和30年1月号 P282
右下:畔亭数久 奇譚クラブ昭和30年2月号 P176
例2:
この絵は、全体のバランスや、胸の描き方がそっくりだと思います。
上:㐂夛玲子 奇譚クラブ昭和26年11月号 目次
下:畔亭数久 奇譚クラブ昭和30年1月号 P176
私が 畔亭数久 = 喜多玲子 だと考える様に成ったのは、上絵例2の目次にデカデカと描かれた赤い裸婦の絵を見た瞬間でした。
当初、私はこの絵を見て当然の事として畔亭数久だと殆ど確信していたのですが、作者をよく見ると喜多玲子(㐂夛玲子)で、その直感的な違和感・疑問が出発点となり調査を開始しました。
初掲載で摘発、発禁
この特徴的で奇抜な責絵は奇譚クラブ本誌への初掲載にして早速摘発理由となって発禁処分を受けています。
作品全体を通して画風には統一感が有り顔の表情はどれも須磨が好きだったChéri Hérouard作品に似ていますが、構図には全く一貫性が無く、奇抜なアイデアによる責めや死をテーマにした作品などを好むキャラクターが演出されている様に思われます。責絵に挿入シーンが一つも無い事も特徴であり好感が持てます。こういった畔亭数久の特徴は、後の裏窓(かっぱ)に継承されているのではないかと思います。
当時の須磨利之は奇譚クラブを辞め、続いて風俗草紙では摘発され、仕事面で迷走していた時期でもあり、自身の描きたい物を自由に描ける様に成った半面、奇譚クラブへと出戻りした事や、私生活の状況などから、奇抜で猟奇的・廃頽的な作品に走っていたのかもしれません。彼らしい細部に渡る繊細なタッチなど凡人には不可能な作品を多数遺していると思います。
筆跡:
赤丸で囲った“れ”の文字に注目下さい。
上:奇譚クラブ 昭和29年9月号 P147 挿絵 “SUK”サインの有る畔亭数久作品
下:風俗草紙 昭和29年1月号 巻頭3色刷り口絵 “れいこ”サインの有る喜多玲子作品
“れ”の文字アップ
左:奇譚クラブ 昭和29年9月号 P147 挿絵 “SUK”サインの有る畔亭数久作品
右:風俗草紙 昭和29年1月号 巻頭3色刷り口絵 “れいこ”サインの有る喜多玲子作品
この様に、畔亭数久と喜多玲子の筆跡は酷似しております。
人物:
畔亭数久(クロテイ・ガズヒサ / クロテイ・スク / グロテスク 等、絵の印象に合わせて読み方を変えていた)は生没不明の謎の人物とされ、突出した奇抜な責め絵や猟奇的・頽廃的でありながら繊細で緻密な絵を描く画家として一部の愛好家に知られています。
畔亭数久がKK通信にて数久操の名で初登場した際に京都在住の女流責絵画家として紹介されていますが、既に上記しました通り活動期間や筆跡や画風等を元に私(龍)の主観的で帰納的・蓋然的な推測によると喜多玲子(つまり須磨利之)のペンネームの一つではないか?と思われます。
須磨は複数の画風を持っていて、それを使い分け別人に見せ掛ける事で、あたかも大勢の画家が奇譚クラブを作っているかの様に見せ掛けていた画家の21面相と言える存在ですから、一人の画家を作り出す事など造作無い事でしょう。
須磨が奇譚クラブを去ったのが昭和28年中頃、畔亭数久の登場が昭和29年2月、ちょうどこの8ヵ月間の須磨は冒頭に掲載したグラフの通り風俗草紙で仕事をしています。その風俗草紙が昭和29年2月号(つまり1月発売時)に摘発され、不定期刊行に移行し10月で廃刊します。
つまり風俗草紙の摘発に伴い一年経たずに出戻りする際、今迄とは極力異なる画風で自由奔放かつ自身が好きだったChéri Hérouardの画風を真似て人物像を作り出していたのではないか?と思います。
畔亭数久が奇譚クラブでの活動を終える昭和31年初頭は須磨が裏窓(その前進である「かっぱ」)の編集長を始めた年と重なり、ここでも整合性が取れます。
なほ、昭和39年頃から畔亭数久が奇譚クラブに再登場しますが、既に冒頭で例示しました通り、その絵は全て昭和29~30年に掲載された作品の再掲載である事を確認済みです。
この様に、画風と活躍時期と筆跡が揃って須磨利之とピッタリ一致しますので、私(龍)としては確信をもって畔亭数久は須磨利之であると言えます。
サイン:
初期
中期
後期
純和風の絵に用いられたサイン
陰刻印影
陽刻印影
その他のサイン
作品:
作品は画集、漫画/劇画、小説の挿絵など多岐に渡りますが、ここに掲載した物が恐らく全てです。
初投稿:昭和29年2月 KK通信
奇譚クラブ本誌初掲載:昭和29年3月号(発禁処分)
この絵が原因となり3月号は発禁処分を受け発売4日目に回収されました。その為、流通量は少ないと思われます。この事実はKK通信3月号P4下段に記載が有ります。
昭和29年4月号 注:左 <- 右
前号で発禁処分の原因と成った為、ペンネームを数久操から畔亭数久に変更したのではないか?と思われます。但し画風は変えずサインもSUKのままです。
この絵はグロ過ぎて不評となり、以後、類似の絵は登場しません。
昭和29年5月号
戯文 黒髪
切腹幻想
通り魔 注:左 <- 右
懸賞入選:半公刑 挿絵 注:左 <- 右
北国湯場哀話 挿絵 注:左 <- 右
昭和29年6月号
戯文戯画 縄について
画集
昭和29年7月号
画集
戯画 回転
昭和29年8月号
戯画戯文 水着
画集
あるマゾヒストの手紙から 挿絵(サインがSUKでなくK.Sですが画風が酷似していた為掲載。但し挿絵として文面の雰囲気に合わせて普段の少女的な顔から大人の雰囲気の顔に切り替えているのではないか?そういう意味では須磨であっても畔亭数久としてではなく、K.Sはクロテイ・スクと一致はするが別のペンネームや合作なのかもしれない。 -> 他のK.S = 杉原虹児作品とは異なる雰囲気を感じるという私の感覚によるものですが・・・赤い部分を須磨利之が、黒い部分を杉原虹児が描いたのでは?という気がしています。)
六月号読者通信欄I.J氏の手錠と水着の着想より
昭和29年9月号
牧場物語 挿絵
懸賞入選 続・半公刑 赤札囚 挿絵
身を灼く女 挿絵(挿絵のみ掲載)
戯画「どうしよう」
昭和29年10月号
【絵物語】彼女をめぐる三人の男
戯文戯画 舞妓
夏子抄 「罪ある女」の日記 本文割愛、挿絵(サインはKAZU)のみ掲載
変の字夜ばなし 本文割愛、挿絵(サインはKAZU)のみ掲載予定
昭和29年11月号
戯画 意地わる責め
キャンプの想い出(コミック形式 注:左 <- 右)
三つのシークレット 挿絵
昭和29年12月号
戯画戯文 くすぐり責め
画集
百合子の冒険 挿絵
懸賞入選 続・半公刑 脱走囚 挿絵
浣腸遊戯について 挿絵
昭和30年1月号
墨ぬり
戯画 アイス・スケート
懸賞入選 『色惚けのペーヂ』 挿絵
百合子の冒険 挿絵
畔亭雑記、ページ下は前月号の百合子の冒険6~7コマの間に挿入
緊縛に関する十二章(本文割愛、絵と写真のみ掲載)
黄昏(本文割愛、挿絵のみ掲載)
女灸点師(本文割愛、挿絵のみ掲載)
昭和30年2月号
戯画 雪国だより
百合子の冒険 挿絵
昭和30年3月
娘相撲
私の体験記 挿絵 注:左 <- 右
百合子の冒険 挿絵
寄宿舎での体験 挿絵
昭和30年4月号
孤獨 (本文省略、挿絵のみ掲載)
昭和30年5月号(発禁処分)
笞のあと
煙草 京都・R大生アイデア
続々・女性切腹断想 本文割愛、挿絵のみ掲載
懸賞原稿 佳作第一席 白面鬼 挿絵のみ掲載
絵物語 スチュアデスの夢
---以下、白表紙時代---
昭和30年10月号
昭和30年11月号
昭和31年1月:かっぱ(後の裏窓)創刊、同年9月より須磨利之が編集長に。
昭和31年4月号
これ以降、畔亭数久の新作無し。
実話なのか創作なのか判りませんが、実話だとしても有り得なくはない話だと思います。
ネタとしては現代の女性週刊誌に掲載されている様な記事です(女性週刊誌は日本にしかない文化の様です)。
獣 姦の物語ですが、物語はそこにフォーカスしているのではなく(獣 姦行為自体にフォーカスしてしまうと猥褻物陳列罪で摘発されてしまう為に省かれたのか、それとも想像を膨らませるためか?)主人公の男性が牝猿とそういった関係を持つに至るまでの経緯と、後にその牝猿が子連で居るところを山で見つけて・・・までの顛末が書かれています。
記事には書かれていませんが、遺伝子が99%同じ人間と猿であればイヌの異種間交配雑種と同様に交配可能だと思うのですが、実際に猿と人間が交配し産まれた雑種に人権は有るのか?、国民としての国籍は付与されるのか?、進学、就職など人として扱われるのか?それとも猿と同等の扱いで動物園で見世物として飼われるのか?仮に牝の子だった場合、それを動物園で見世物として飼う行為がどの様な影響を及ぼすのか、その子を殺した場合に殺人として裁かれるのか?それとも猿と同じく器物破損や動物愛護法などで裁かれるのか?・・・などなど、色々と考えさせられました。
以下、その内容です。
読み辛い場合は、くろねこさんのHPで 74ページ と 75ページ を参照下さい。
下記のタイトルで随時追記してゆきますので、ご興味の有る方は時々ブラウザでリロード操作をして下さい。
1:第三種郵便物認可
定期刊行物に対する認可ですから、月刊化が確定した時期を洗い出す事が出来ます。
1回目の認可:昭和25年(1950)10月5日 通刊25号~通刊80号まで
2回目の認可:昭和31年(1956)4月20日 通刊85号~通刊325号まで
※後述の雑誌コード(旧:IBMナンバー)と照らし合わせて考えると、白表紙時代の初期から大手流通業者を利用した雑誌販売ルートが確立していた事が窺えます。
2:日本国有鉄道特別扱承認雑誌
上記の第三種郵便物に加え、国鉄を活用した迅速な全国展開(多くは夜行貨物列車で輸送され、発売日の統一や運賃割引による遠隔地での定価販売など)に大きく関与しています。
1回目の承認:昭和26年(1951)1月24日 特運 第1887号 通刊28~80号まで
2回目の承認:昭和35年(1960)6月17日 大局 第122号 通刊145~228号まで
3回目の承認:昭和42年(1967)4月21日 大局 第210号 通刊229~325号まで
※白表紙時代がスッポリ抜けている為、全国の小売書店での白表紙の店頭販売が実際に行われていなかった事の現われであると思われます。
3:取次店
3.1:大賣捌所(うりさばきしょ)
カストリ時代の初期、通刊第2号~4号までの間、奥付に大賣捌所として立誠社が記載されています。大賣捌所とは明治時代~昭和初期の新聞・雑誌の取次店を指し、二次大戦を挟んで業界が大きく変化した過渡期の取次形態の様です。
カストリ時代の初期は、取次を介さずに吉田氏が直接書店を巡って営業していたという通説が早くも創刊第2号で否定された格好ですが、4号を最後に取次を拒否されてやむなく5号以降は飛び込み営業していたのではないかと思われます。取次拒否に至る経緯は第3号で行われたGHQ検閲が関係しているのではないか?と思われます。
3.2:雑誌コード(旧:IBMナンバー)
トーハンの様な出版大手取次店/流通業者を通す為には必須のコード番号で、一般に当初は4桁のIBMナンバーとしてスタートし、後に雑誌コードに改名して先頭に1桁追加し5桁に拡張後、更に下2桁が追加され5桁+2桁に拡張されましたが、IBMナンバー時代の4桁の番号を基本として拡張・継続利用されています。
奇譚クラブでは曙書房時代の末期に2805番が付与され、その後、天星社・暁出版・きたん社と継続して同じ番号が利用され続けますが、発禁や会社変更とは全く関係ないタイミングで一旦停止され(裏表紙に印刷されなくなってしまう)10年後に復活している謎の期間が有る為、その前後関係から10年間(通刊150号~通刊273号)に渡って大手取次店/流通業者から出入り禁止に成っていた可能性が有り、その理由などを探ってみます。
2805(IBMナンバー 曙書房時代):通刊79号~通刊80号まで
2805(IBMナンバー 天星社時代):通刊83号~通刊149号まで
2806(4桁雑誌コード 誤植?):通刊274号(臨時増刊)のみ
2805(4桁雑誌コード 暁出版時代):通刊275号~通刊284号まで
2805-xx(4桁+2桁雑誌コード 暁出版時代):通刊285号~通刊325号まで
02805-xx(5桁+2桁雑誌コード きたん社時代):復刊1号~復刊11号まで
05322-xx(5桁+2桁雑誌コード 平成版 ユニ報創):新装1号~新装3号まで
4:天星社 -> 暁出版(株)
曙書房から天星社へ移行した理由は発禁処分への対応ですが、天星社から暁出版へ移行した時には発禁処分を受けていない為、移行理由はあまり知られていません(と思う)ので、探ってみようと思います。
遡る2~3年前に東京都・神奈川県の条例で有害図書に指定され、同時に裏窓が廃刊、グラビアなどを自粛し有害図書の指定を取り下げてもらう取り組みを続けている最中の出来事の様でした。
5:グラビアと文章の比率及び総ページ数の推移
6:年表
上記の視点に加え、白表紙時代や出版社名を記載した年表を作成してみました。
(クリックで拡大)