Franz von Bayros (1866 – 1924)は、前回の記事で書きましたChéri Hérouard (1881 - 1961)より遡る15年ほど早く生まれた画家・イラストレータで、エロティックなSM画を遺しています。後期のハプスブルグ帝国/オーストリア=ハンガリー帝国時代のザグレブ(現:クロアチア)に生まれ育ち、フランスに滞在していた時期が有る事からChéri Hérouardとも何らかの繋がりが有ったかもしれません。
彼は、作曲家・ワルツ王として名高いJohann Strauss II (1825 - 1899)の養女と結婚している事から、それなりの家柄という事がうかがえると思います。といいますか、そもそも von と綴っているのですから貴族又は準貴族(=領地所有を認められ不労所得が有った)であろうと思われます。
例によってネットから適当に拾ってきた絵です。コメントは私(龍)の率直な感想であり、真実とはイコールでない可能性が有ります。
全体を通して、無毛または非常に薄い毛で描かれている事が多い様です。
最初に私が軽い衝撃を受けた絵はこれです。
今から100年以上も昔にこんな絵が描かれていた事に軽い衝撃を受けました。
但し、当時、紙が高価だった頃は(本邦に於いても)トイレの後に似た光景が日常的に有った様ですから、責めではなくトイレ後にそういった類似の行為をしているだけなのかもしれません。しかし横でそれを眺めている少女や、跨いでいる女性本人の恍惚とした表情などが色々な想像を掻き立てます。誰かに命令されてやっているのか?それとも自ら跨いで擦り付けたのか?などなど・・・
こちらは、どこかの神社の御神体の様な巨大なブロンズ像?に少女が拘束されており、後ろに控えた女性が鞭を隠し持っている事が判ります。
ブロンズ像らしき物の下には火をくべて有りますが、この熱が徐々に像を伝って拘束された少女に伝わり、じわじわと灼熱地獄に、或いは炎の先端が女性自身を炙り・・・
この絵は太い柱に紐で拘束された女性を鞭で責めている絵ですが、
責め側の男性らしき人物の履物がハイヒールという点に興味を持ちました。同時代の男性には現代の女性が履く様なハイヒールを履く習慣が有ったのか?それとも、フェチ的な趣味趣向で履いて(履かせて)いるのか?
こちらは、孔雀の羽を使ったスパンキングの様に見えますが、その効果は私には全く想像が付きません。
私(龍)が子供の頃、近所に住んでいた方が孔雀を数種数匹飼っていた為、孔雀の羽がそれ程硬くない、せいぜいハタキ程度の効果しか(孔雀の羽は結構硬い様です、子供の頃の記憶はあてに成りませんでした)・・・と書いていて気付きましたが、これは恐らく彼の地での当時のハタキですね。ハイヤーの運転手が車を掃除する時に類似の物を見掛けるような気がします。毛を取り除いて芯だけにして数本束ねたら結構な威力が有りそうな気がします。
これは見たまま吊りですね。
足首を縛った縄が食い込まない様にあて布(又は革)を巻いてあり、それなりに考慮されて書かれている様です。はたで見ている放蕩貴族っぽい成年の竿がカワイイですね。
こちらは女主人と黒人奴隷の構図に見えますが・・・
この絵には The Rival というタイトルが付けられていましたので、旦那の愛人・妾に成った黒人奴隷を何かと理由を付けて日常的にイビリ責める本妻という構図かもしれません。
彼の描く黒人は痩せている事が多いのですが、この黒人女性は肉付きが良いので健康的な食生活を可能とする待遇が与えられていた事を示している様に思います。
犬は、黒人奴隷のスカートに隠れる旦那を暗に(そう思いたい人向けに)表現している様にも見えます。
こちらは背景等から察するに広大な領地を有する支配層の女性が、罪人、敵地の住人、使用人などをズラリと並べて拘束させ、その処分を考えているのではないでしょうか?
手にした鞭は、その形や長さからDressage whipではないかと思われます。
この女性自身も胸を露出している事から、単なる刑罰ではなく、性的な意味合いを多分に含んだ状況ではないでしょうか?
この絵の特徴は、今まさに切り落とされようとしている状況で男性がエレクトしている事ではないでしょうか?
つまり、作者はMであった可能性が有りそうです。
この絵は黒人奴隷にクンニリングスをさせながら自身は手で相手の秘部を悪戯しつつ、時々臀部を叩いていたようなシチュエーションではないでしょうか?
手に持っている物が何か判りませんが、紐っぽいですね。
こちらはSMとは直接関係有りませんが・・・
当時から、こんな物が有った事に驚きました。或いは贋作か?
最後に、SMとは全く関係ありませんが・・・
ちょんまげ+花魁?でしょうか?
辮髪の生首らしき物を持っている事が何かを物語っている様に思います。
当時は日英同盟から日露戦争へと続く時代と重なっており、日本がヨーロッパで認知され始めた頃、そういった関係で描かれたものかもしれませんね。
彼は、作曲家・ワルツ王として名高いJohann Strauss II (1825 - 1899)の養女と結婚している事から、それなりの家柄という事がうかがえると思います。といいますか、そもそも von と綴っているのですから貴族又は準貴族(=領地所有を認められ不労所得が有った)であろうと思われます。
例によってネットから適当に拾ってきた絵です。コメントは私(龍)の率直な感想であり、真実とはイコールでない可能性が有ります。
全体を通して、無毛または非常に薄い毛で描かれている事が多い様です。
最初に私が軽い衝撃を受けた絵はこれです。
今から100年以上も昔にこんな絵が描かれていた事に軽い衝撃を受けました。
但し、当時、紙が高価だった頃は(本邦に於いても)トイレの後に似た光景が日常的に有った様ですから、責めではなくトイレ後にそういった類似の行為をしているだけなのかもしれません。しかし横でそれを眺めている少女や、跨いでいる女性本人の恍惚とした表情などが色々な想像を掻き立てます。誰かに命令されてやっているのか?それとも自ら跨いで擦り付けたのか?などなど・・・
こちらは、どこかの神社の御神体の様な巨大なブロンズ像?に少女が拘束されており、後ろに控えた女性が鞭を隠し持っている事が判ります。
ブロンズ像らしき物の下には火をくべて有りますが、この熱が徐々に像を伝って拘束された少女に伝わり、じわじわと灼熱地獄に、或いは炎の先端が女性自身を炙り・・・
この絵は太い柱に紐で拘束された女性を鞭で責めている絵ですが、
責め側の男性らしき人物の履物がハイヒールという点に興味を持ちました。同時代の男性には現代の女性が履く様なハイヒールを履く習慣が有ったのか?それとも、フェチ的な趣味趣向で履いて(履かせて)いるのか?
こちらは、孔雀の羽を使ったスパンキングの様に見えますが、その効果は私には全く想像が付きません。
私(龍)が子供の頃、近所に住んでいた方が孔雀を数種数匹飼っていた為、
これは見たまま吊りですね。
足首を縛った縄が食い込まない様にあて布(又は革)を巻いてあり、それなりに考慮されて書かれている様です。はたで見ている放蕩貴族っぽい成年の竿がカワイイですね。
こちらは女主人と黒人奴隷の構図に見えますが・・・
この絵には The Rival というタイトルが付けられていましたので、旦那の愛人・妾に成った黒人奴隷を何かと理由を付けて日常的にイビリ責める本妻という構図かもしれません。
彼の描く黒人は痩せている事が多いのですが、この黒人女性は肉付きが良いので健康的な食生活を可能とする待遇が与えられていた事を示している様に思います。
犬は、黒人奴隷のスカートに隠れる旦那を暗に(そう思いたい人向けに)表現している様にも見えます。
こちらは背景等から察するに広大な領地を有する支配層の女性が、罪人、敵地の住人、使用人などをズラリと並べて拘束させ、その処分を考えているのではないでしょうか?
手にした鞭は、その形や長さからDressage whipではないかと思われます。
この女性自身も胸を露出している事から、単なる刑罰ではなく、性的な意味合いを多分に含んだ状況ではないでしょうか?
この絵の特徴は、今まさに切り落とされようとしている状況で男性がエレクトしている事ではないでしょうか?
つまり、作者はMであった可能性が有りそうです。
この絵は黒人奴隷にクンニリングスをさせながら自身は手で相手の秘部を悪戯しつつ、時々臀部を叩いていたようなシチュエーションではないでしょうか?
手に持っている物が何か判りませんが、紐っぽいですね。
こちらはSMとは直接関係有りませんが・・・
当時から、こんな物が有った事に驚きました。或いは贋作か?
最後に、SMとは全く関係ありませんが・・・
ちょんまげ+花魁?でしょうか?
辮髪の生首らしき物を持っている事が何かを物語っている様に思います。
当時は日英同盟から日露戦争へと続く時代と重なっており、日本がヨーロッパで認知され始めた頃、そういった関係で描かれたものかもしれませんね。
日本で出ているバイロスの画集は、私の知る限り、奢○都館(さばとやかた、 ※○に該当する文字は、さんずいに霸)の『バイロス画集』『バイロス画集 第Ⅱ集』、京都書院アーツコレクションの『バイロス公爵画集』(山本芳樹/著)があります。奢○都館からは上記画集以前に、限定版の豪華本『バイロス画集 ヴィーナスの苑/化粧台物語/C.C.夫人の閨房』(ttp://maelstrom.ocnk.net/product/1481)が出ています。
upされた画像中、一番上の作品は『バイロス画集』では「愛のブランコ」というキャプションが付けられていますが、原題は不明です(『ヴィーナスの苑』中の一枚)。
順に画集に添えられたキャプションを列記してみましょう。
二枚目「五感─嗅覚」(『C.C.夫人の閨房』)
三枚目「五感─触覚」(『C.C.夫人の閨房』)
四枚目「無題 〈いいこと、わたしにおしっこ引っかけたら、お返しは毎回こうだからね!〉」(『蛙のすみか』)
五枚目「エロスの悶え」(『化粧台物語』)
六枚目「ライヴァル」(『化粧台物語』)
七枚目「黒い貴婦人」(『ヴィーナスの苑』)
八枚目 不明(『ボンボニエール』)
以下不明、一番下の二枚は蔵書票です。
日本で(一部の人々に)バイロスの名を一躍有名にしたのが“バイロス画集事件”でしょう。
ttp://app.m-cocolog.jp/t/typecast/113859/101967/63347352
(以下引用)横浜在住のサラリーマンが会社の帰りに寄った、東京駅八重洲の書店で、『バイロス画集』を手に取り、陰部が描かれているのを見て、これはけしからんと神奈川県警に訴え出た。(引用終り)
実に腹立たしい顛末です。いつの時代も、このような野蛮人のために本当に優れた才能・文化が迫害されてきました。(『第Ⅱ集』はなんと横浜地検の処分未決定のなか刊行され、『バイロス公爵画集』の解説によると警察当局に対する挑戦とも報道されたそうです)
大論争の中、編集・翻訳の生田耕作氏が「〈芸術〉なぜ悪い」(ttp://maelstrom.ocnk.net/product/1200)というロジックを用いたことに対し斎藤正治氏は何故「ワイセツなぜ悪い」で争わないかと批判、生田氏は直ちに反論しています。(ttp://sealofcain.blog101.fc2.com/?m&no=206)
生前のバイロス自身もミュンヘンで告訴されていますが、「好色画家」というレッテルに対する彼自身の反論とも言える文章『私の道徳観』が奢○都館の『バイロス画集』に収録されています。文中の「私は美以外の何物にも仕えたことはなかった」は名言です。
私の好きな宮西計三の作風はバイロスに近いものがあると思います。
宮西計三といえば、ハンス・ベルメールに大きな影響を受けたことが知られていますが、個人的にはベルメールよりバイロスにより共通するところが大きいと思っています。
『バイロス公爵画集』には、晩年のバイロスが描いたダンテ『神曲』の挿絵(『神曲』の挿絵というと、ギュスターヴ・ドレのものが有名ですが)、水彩画による60点が収録されています(ダンテ600年記念祭のために制作)。当然SM色は希薄ながら、芸術作品として格調の高い作品群は壮観です。本が文庫サイズであることが、なんとも残念。
上記以外の関連本では、岩崎美術社より『西洋の蔵書票—バイロスとアールヌーヴォー (双書美術の泉 51)』(内田市五郎/編)がありますが、私は未読です。
手許の『西洋のエロティック蔵書票』((内田市五郎+仲井 昇/編 つくし館/刊 1998年)に、バイロス制作の蔵書票について興味深い一文がありますので引用してみましょう(同書p126、内田市五郎氏の文章)
(以下引用)バイロスの作った蔵書票のサイズは、書物に貼るには大きすぎる。彼の原画は更に大きかったに違いない。原画はペンとインキで描いていて、それを写真製版で印刷したのである。その版式はヘリオ・グラヴィアと呼ばれているが、実際にどういう技法であったのか、今となってはわからないことが多い。一点だけであるが、筆者はその原画というものをベルギーのコレクターの家で見たことがある。一メートルほどの大きさがあった、と思う。あれだけの細かい画面を描くためには、そのくらいの大きさが必要だったのだろう。蔵書票の票主の名前は、版が出来てから何らかの機械の力で掘っている場合もあるらしい。(引用終り)
upされた画像中、一番上の作品は『バイロス画集』では「愛のブランコ」というキャプションが付けられていますが、原題は不明です(『ヴィーナスの苑』中の一枚)。
順に画集に添えられたキャプションを列記してみましょう。
二枚目「五感─嗅覚」(『C.C.夫人の閨房』)
三枚目「五感─触覚」(『C.C.夫人の閨房』)
四枚目「無題 〈いいこと、わたしにおしっこ引っかけたら、お返しは毎回こうだからね!〉」(『蛙のすみか』)
五枚目「エロスの悶え」(『化粧台物語』)
六枚目「ライヴァル」(『化粧台物語』)
七枚目「黒い貴婦人」(『ヴィーナスの苑』)
八枚目 不明(『ボンボニエール』)
以下不明、一番下の二枚は蔵書票です。
日本で(一部の人々に)バイロスの名を一躍有名にしたのが“バイロス画集事件”でしょう。
ttp://app.m-cocolog.jp/t/typecast/113859/101967/63347352
(以下引用)横浜在住のサラリーマンが会社の帰りに寄った、東京駅八重洲の書店で、『バイロス画集』を手に取り、陰部が描かれているのを見て、これはけしからんと神奈川県警に訴え出た。(引用終り)
実に腹立たしい顛末です。いつの時代も、このような野蛮人のために本当に優れた才能・文化が迫害されてきました。(『第Ⅱ集』はなんと横浜地検の処分未決定のなか刊行され、『バイロス公爵画集』の解説によると警察当局に対する挑戦とも報道されたそうです)
大論争の中、編集・翻訳の生田耕作氏が「〈芸術〉なぜ悪い」(ttp://maelstrom.ocnk.net/product/1200)というロジックを用いたことに対し斎藤正治氏は何故「ワイセツなぜ悪い」で争わないかと批判、生田氏は直ちに反論しています。(ttp://sealofcain.blog101.fc2.com/?m&no=206)
生前のバイロス自身もミュンヘンで告訴されていますが、「好色画家」というレッテルに対する彼自身の反論とも言える文章『私の道徳観』が奢○都館の『バイロス画集』に収録されています。文中の「私は美以外の何物にも仕えたことはなかった」は名言です。
私の好きな宮西計三の作風はバイロスに近いものがあると思います。
宮西計三といえば、ハンス・ベルメールに大きな影響を受けたことが知られていますが、個人的にはベルメールよりバイロスにより共通するところが大きいと思っています。
『バイロス公爵画集』には、晩年のバイロスが描いたダンテ『神曲』の挿絵(『神曲』の挿絵というと、ギュスターヴ・ドレのものが有名ですが)、水彩画による60点が収録されています(ダンテ600年記念祭のために制作)。当然SM色は希薄ながら、芸術作品として格調の高い作品群は壮観です。本が文庫サイズであることが、なんとも残念。
上記以外の関連本では、岩崎美術社より『西洋の蔵書票—バイロスとアールヌーヴォー (双書美術の泉 51)』(内田市五郎/編)がありますが、私は未読です。
手許の『西洋のエロティック蔵書票』((内田市五郎+仲井 昇/編 つくし館/刊 1998年)に、バイロス制作の蔵書票について興味深い一文がありますので引用してみましょう(同書p126、内田市五郎氏の文章)
(以下引用)バイロスの作った蔵書票のサイズは、書物に貼るには大きすぎる。彼の原画は更に大きかったに違いない。原画はペンとインキで描いていて、それを写真製版で印刷したのである。その版式はヘリオ・グラヴィアと呼ばれているが、実際にどういう技法であったのか、今となってはわからないことが多い。一点だけであるが、筆者はその原画というものをベルギーのコレクターの家で見たことがある。一メートルほどの大きさがあった、と思う。あれだけの細かい画面を描くためには、そのくらいの大きさが必要だったのだろう。蔵書票の票主の名前は、版が出来てから何らかの機械の力で掘っている場合もあるらしい。(引用終り)
2013/08/03(土) 11:33:04 | URL | esme #zxJvsWF.[ 編集 ]
esme様、いつもコメント有難う御座います。
バイロス公爵・・・
なるほど公爵でしたか。
七枚目の絵を描けたのも納得です。
教えて頂いた画集など、私も追々収集してゆきたいと思っています。
> 以下不明、一番下の二枚は蔵書票です。
蔵書印は知っていましたが蔵書票という文化が有る事を始めて知りました。ちょうど彼が活躍した時代に彼の地で盛んに成った様ですから、蔵書票の文化にも貢献しているのかもしれませんね。
他の作品とは異なり柵に捕われず自由に自分の描きたい内容を描けたのでこうなったのかな?という印象を持ちました。
> 実に腹立たしい顛末です。
全く同感ですね。
見る権利、知る権利を阻害するのみならず、逆に知性や品位を疑ってしまいます。
八重洲の書店は何故か良書を見付ける事が多く、神保町に次いで好きな場所です。
> 文中の「私は美以外の何物にも仕えたことはなかった」は名言です。
確かに名言ですね。
純粋に美を追い求めた先にうまれたものであれば、それを色眼鏡でなく真正面から受け止める事が礼儀であると思います。
> 本が文庫サイズであることが、なんとも残念。
これは残念ですね、というより残念を通り越して理解に苦しみます。
> 蔵書票の票主の名前は、版が出来てから何らかの機械の力で掘っている場合もあるらしい。
個々の票主に一枚だけのオリジナル蔵書票を描いていたとするなら、なかなか贅沢な代物ですね。
版画を印として使うと考え、自分でも作ってみたくなりました。
バイロス公爵・・・
なるほど公爵でしたか。
七枚目の絵を描けたのも納得です。
教えて頂いた画集など、私も追々収集してゆきたいと思っています。
> 以下不明、一番下の二枚は蔵書票です。
蔵書印は知っていましたが蔵書票という文化が有る事を始めて知りました。ちょうど彼が活躍した時代に彼の地で盛んに成った様ですから、蔵書票の文化にも貢献しているのかもしれませんね。
他の作品とは異なり柵に捕われず自由に自分の描きたい内容を描けたのでこうなったのかな?という印象を持ちました。
> 実に腹立たしい顛末です。
全く同感ですね。
見る権利、知る権利を阻害するのみならず、逆に知性や品位を疑ってしまいます。
八重洲の書店は何故か良書を見付ける事が多く、神保町に次いで好きな場所です。
> 文中の「私は美以外の何物にも仕えたことはなかった」は名言です。
確かに名言ですね。
純粋に美を追い求めた先にうまれたものであれば、それを色眼鏡でなく真正面から受け止める事が礼儀であると思います。
> 本が文庫サイズであることが、なんとも残念。
これは残念ですね、というより残念を通り越して理解に苦しみます。
> 蔵書票の票主の名前は、版が出来てから何らかの機械の力で掘っている場合もあるらしい。
個々の票主に一枚だけのオリジナル蔵書票を描いていたとするなら、なかなか贅沢な代物ですね。
版画を印として使うと考え、自分でも作ってみたくなりました。
2013/08/04(日) 02:59:30 | URL | 龍(RYU) #-[ 編集 ]
レス有難うございます。
国内でバイロス作品が観賞できる美術館として、薔薇族元編集長・伊藤文学氏が1993年に設立し、氏自身の蔵書票コレクションを公開していた「ロマンの泉美術館」がありましたが、残念なことに2009年に閉館しているようです。今後はヴァニラ画廊の企画展等で実物を観られる機会があるかもしれません。
戦前の日本への蔵書票文化の紹介では斉藤昌三の一連の仕事──、特に『蔵書票の話』が有名です。『蔵書票の話』は、かなり前に地元丸善の古書即売会に出品されたのを目にしたことがありますが、価格的にとても手が出ませんでした。判明している範囲では、最も早く日本にバイロスを紹介したのも梅原北明、斉藤昌三らの一派であります。
>版画を印として使うと考え、自分でも作ってみたくなりました。
『西洋のエロティック蔵書票』の他にも蔵書票について書かれた本を持っていた筈ですが、目下行方不明です(たしか、平凡社新書『書物愛 蔵書票の世界』という本だったと思います) 。その本には、筆者の方が海外のアーティストに希望を伝え発注、文通による打ち合わせを綿密に重ねて自分だけの蔵書票を手にするまでの過程が書かれていました。
日本でも蔵書票制作を請け負っている作家さんはいると思います。
何れにせよ、かなり高額な料金になってしまうとは思いますが…
発注しても(それなりの枚数になると思いますが)本に貼らずコレクションする人もいるようですね。
エロティックな意匠が多いのは、その“秘蔵する”という性格からと思われます。戦前の地下出版に好色物が多いのも、エロだから地下に潜ったというよりは秘蔵するという性格(多くが、金持ちの愛書家に向け、贅を尽くした豪華限定本だった為)故だったのではないでしょうか。
国内でバイロス作品が観賞できる美術館として、薔薇族元編集長・伊藤文学氏が1993年に設立し、氏自身の蔵書票コレクションを公開していた「ロマンの泉美術館」がありましたが、残念なことに2009年に閉館しているようです。今後はヴァニラ画廊の企画展等で実物を観られる機会があるかもしれません。
戦前の日本への蔵書票文化の紹介では斉藤昌三の一連の仕事──、特に『蔵書票の話』が有名です。『蔵書票の話』は、かなり前に地元丸善の古書即売会に出品されたのを目にしたことがありますが、価格的にとても手が出ませんでした。判明している範囲では、最も早く日本にバイロスを紹介したのも梅原北明、斉藤昌三らの一派であります。
>版画を印として使うと考え、自分でも作ってみたくなりました。
『西洋のエロティック蔵書票』の他にも蔵書票について書かれた本を持っていた筈ですが、目下行方不明です(たしか、平凡社新書『書物愛 蔵書票の世界』という本だったと思います) 。その本には、筆者の方が海外のアーティストに希望を伝え発注、文通による打ち合わせを綿密に重ねて自分だけの蔵書票を手にするまでの過程が書かれていました。
日本でも蔵書票制作を請け負っている作家さんはいると思います。
何れにせよ、かなり高額な料金になってしまうとは思いますが…
発注しても(それなりの枚数になると思いますが)本に貼らずコレクションする人もいるようですね。
エロティックな意匠が多いのは、その“秘蔵する”という性格からと思われます。戦前の地下出版に好色物が多いのも、エロだから地下に潜ったというよりは秘蔵するという性格(多くが、金持ちの愛書家に向け、贅を尽くした豪華限定本だった為)故だったのではないでしょうか。
2013/08/04(日) 09:41:17 | URL | esme #zxJvsWF.[ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013/08/04(日) 13:30:03 | | #[ 編集 ]
> 今後はヴァニラ画廊の企画展等で実物を観られる機会があるかもしれません。
この画廊は未だ行った事が無いのですが、以前から興味深い展示ばかりしておりますので、そのうち足を運ぶ事に成るであろうと思っています。
> 『蔵書票の話』は、かなり前に地元丸善の古書即売会に出品されたのを目にしたことがありますが、価格的にとても手が出ませんでした。
Amazonで12万円、確かになかなかの御値段ですね。
> 筆者の方が海外のアーティストに希望を伝え発注、文通による打ち合わせを綿密に重ねて自分だけの蔵書票を手にするまでの過程が書かれていました。
成る程・・・
蔵書票ではないのですが、乗馬用の拍車をアメリカのアーティストに製作してもらった事が有り、似た様な過程を踏み、ネーム入りの彫刻が施された一品物の拍車を持っていまして、ウエスタンの馬装で乗馬する際に愛用しています。
もっとも、アメリカの牧歌的文化のアーティストなので雑な作りなのですが、まぁ、それはそれで、それっぽい雰囲気を醸し出してくれています。ウエスタンブーツに装着して歩くと特徴的な甲高い“カキン”という音を一歩毎に奏でますので西部劇を見ている様な気分に浸れます。
余談ですが、他にも有名どころでは、エルメスが似た様な事を馬具一式請け負ってくれます。こちらは別荘が一軒建つくらいの値段に成りますが・・・
> 日本でも蔵書票制作を請け負っている作家さんはいると思います。
> 何れにせよ、かなり高額な料金になってしまうとは思いますが…
でしょうね・・・
そういった作品は、値段が有って無い様なものでもあり、また、高額に設定すれば価値が上がるという事も有ると思います。
私の会社のロゴマークは社長が知り合いの日本人アーティストに(アーティスト側からの申し出で)作って頂いたのですが、会社が大きくなったら、その時に値段を付けて下さいと言われたらしく、つまり出世払いということで、しかも金額は未定なのです。
芸術作品と職人作品の違いや、値段設定など、色々と難しいものが有りますね。
この画廊は未だ行った事が無いのですが、以前から興味深い展示ばかりしておりますので、そのうち足を運ぶ事に成るであろうと思っています。
> 『蔵書票の話』は、かなり前に地元丸善の古書即売会に出品されたのを目にしたことがありますが、価格的にとても手が出ませんでした。
Amazonで12万円、確かになかなかの御値段ですね。
> 筆者の方が海外のアーティストに希望を伝え発注、文通による打ち合わせを綿密に重ねて自分だけの蔵書票を手にするまでの過程が書かれていました。
成る程・・・
蔵書票ではないのですが、乗馬用の拍車をアメリカのアーティストに製作してもらった事が有り、似た様な過程を踏み、ネーム入りの彫刻が施された一品物の拍車を持っていまして、ウエスタンの馬装で乗馬する際に愛用しています。
もっとも、アメリカの牧歌的文化のアーティストなので雑な作りなのですが、まぁ、それはそれで、それっぽい雰囲気を醸し出してくれています。ウエスタンブーツに装着して歩くと特徴的な甲高い“カキン”という音を一歩毎に奏でますので西部劇を見ている様な気分に浸れます。
余談ですが、他にも有名どころでは、エルメスが似た様な事を馬具一式請け負ってくれます。こちらは別荘が一軒建つくらいの値段に成りますが・・・
> 日本でも蔵書票制作を請け負っている作家さんはいると思います。
> 何れにせよ、かなり高額な料金になってしまうとは思いますが…
でしょうね・・・
そういった作品は、値段が有って無い様なものでもあり、また、高額に設定すれば価値が上がるという事も有ると思います。
私の会社のロゴマークは社長が知り合いの日本人アーティストに(アーティスト側からの申し出で)作って頂いたのですが、会社が大きくなったら、その時に値段を付けて下さいと言われたらしく、つまり出世払いということで、しかも金額は未定なのです。
芸術作品と職人作品の違いや、値段設定など、色々と難しいものが有りますね。
2013/08/05(月) 02:35:57 | URL | 龍(RYU) #-[ 編集 ]
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