黎明期:昭和22年(1947)~昭和23年(1948)
極々初期の奇譚クラブは正にカストリ誌という言葉が相応しく、粗悪な紙で、まるで同人誌の様に薄く、内容的にも素人による手作り感が否めませんが、狙いは当初からエログロのエッジを目指している事が伝わってきます。最近の同人誌と比べると絵の完成度には雲泥の差が有りますが、読者を選ぶ内容の濃さでは引けをとらないと思います。しかし後に須磨利之が参加しなければ10号を待たづに廃刊となり他のカストリ誌同様に戦後の風俗雑誌として一括に忘れ去られていったであろうという雰囲気も醸し出している様に感じます。
須磨利之初期:昭和23年(1948)~昭和25年(1950)
須磨利之が参加してからは絵の完成度が格段に向上していますが、それでも初期の頃は少し垢抜けない感じがしますね。タイトルロゴのブの濁点位置が上から下に移動していますが、ロゴデザインとしては未だ定着する前の状態で時々先祖帰りします。
須磨利之後期:昭和26年(1951)~昭和27年(1952)
この頃からタイトルロゴが定着します。特徴的なブの初出は昭和24年2月25日発行の珍談奇聞讀物集ですが、24年の時点では奇譚の漢字が毛筆っぽいデザインで明朝風のグラフィックデザインが施されたフォントに変わるのは通刊22号 昭和25年7月 珍談と奇聞特集號 からとなり、以後、天星社時代を経て暁出版時代で休刊するまでロゴが踏襲されます。
終戦直後の焼野原時代に始まったB5版の奇譚クラブは、サンフランシスコ条約の発効(つまり表向きの占領終了と部分的主権回復)と同時に須磨利之の絵と供に4月で終了、翌月号の出版は無く、翌々月号(合併号)からA5版へと移行します。この頃には既にロゴが統一され、現代的な雑誌の体裁で完成度も更に高くなっていますが、紙質は表表紙を除いて未だ粗悪な物(目次は若干良質の紙)が利用されています。逆に言うと、この時期は表表紙のみ上質紙が利用され本体表面に糊付けされ、中身と裏表紙は仙花紙のままです。
Chéri Hérouard(La Vie Parisienne)流用:昭和27年(1952)~昭和29年(1954)
A5版に変わり表紙と供に内容も一新、占領軍による検閲が終了した事もあり、まるで異なる雑誌の様に大きく変貌を遂げエログロの濃度が増してSM専門誌としての色を濃くしてゆきます。紙質も向上しており表表紙と裏表紙が一体と成っています。
特大号(曙書房後期、発禁直前):昭和29年(1954)~昭和30年(1955)
天星社に鞍替えする直前の奇譚クラブは発禁前夜まで300頁を超える様な特大号を連発し、波に乗って大ブレイク中の様子が伝わってきます。この時期の奇譚クラブは若干暴走気味で目次を見るだけで満腹感があり、表紙の絵柄も野暮ったい感じがします。
出る杭は打たれると云いますが、出た杭として当局にマークされていた面もあるかもしれません。
白表紙時代:昭和30年(1955)~昭和35年(1960)
特大号の泡が弾けてページ数と厚みが半分に成ってしまいますが値段は1.4倍に値上げしています(インフレを加味しても値上げしている)。
そのぶん濃縮された濃い内容に成っているとも云えそうで家畜人ヤプーはこの時期に登場し、カラー表紙を待たずに去ってゆきました。
白表紙時代の増刊号:昭和33年(1958)~昭和35年(1960)
白表紙時代でも増刊号はカラー表紙でしたが、それまでのカラフルな多色刷りの表紙と異なり落ち着いた色合いの(とは言えSMを全面に出した四馬孝画が登場する)ダークカラーの表紙に成っています。
カラー表紙復活:昭和35年(1960)
特大号で暴走し始める前のA5版当初の雰囲気に回帰しているように思われます。
別冊:昭和30年(1955)~昭和31年(1956)
この時期は、曙書房後期の特大号路線からの教訓なのか、増分を別冊や増刊に振り分けて頁数増加ではなく号数増加で対応している様です。
四馬孝:昭和30年(1955)~昭和31年(1956)
これ以前にも増刊号の表紙を飾る事はありましたが、この時期は立て続けに本誌の表紙を飾り、それまでの四馬孝画と異なりカラフルな多色刷りと成っています。
Chéri Hérouard再び:昭和36年(1961)~昭和37年(1962)
再びA5版初期の雰囲気に回帰しています。
この時期、Chéri Hérouard ばかりではないのですが、どうしてもその影響が先行している様に思います。奇譚クラブと言えば、この頃のデザインが一番印象に残っています。
天星社時代後期~暁出版時代:昭和37年(1962)~昭和50年(1975)
天星社時代の終わり頃から表紙は全て線画・モノクロで統一され、暁出版時代の奇譚クラブは終始この様な簡素な表紙で四馬孝なども含め様々なアーティストの線画・モノクロ画が表紙として採用されていました。
あまり表紙を飾らなくとも固定客に対して安定して売れていた面があるのかもしれず、表紙より中身に注力していたのかもしれません。
この様な簡素な表紙は団鬼六の花と蛇の連載開始と完全に一致している為、花と蛇におんぶに抱っこという面もありそうです。逆に言うと花と蛇の連載及び特集号にカラフルな絵の表紙は一冊もなく、連載全盛期にはグラビアさえも廃止しており、極めつけは昭和45年(1970)8月の臨時増刊、花と蛇決定版で、グラビアどころか挿絵さえも無く活字のみで832頁(1頁は20文字×28行×3段)というSM雑誌としては異例とも言える活字主体の驚異的な長編小説となっており、本誌でグラビアを廃止していた期間なども含め活字に特化していた時期とも言えそうです。
花と蛇の連載が終了してから入れ替わりにグラビアが復活し、グラビアで花と蛇の穴を埋めようとしてか?カラーグラビアなども少しづつ登場し始めますが、この頃に登場していた多数の競合するSM雑誌に対して差別化が難しかった様で数年で休刊と成ってしまいました。活字主体からビジュアル主体へと転向した事で既存の読者が離れていった面も有るかもしれませんし、団鬼六に代わるSM専門の文筆家が登場しなかったという側面もあるかもしれません。
復刊(Franz von Bayrosなど):昭和57年(1982)~昭和58年(1983)
吉田稔から奇譚クラブの商標権を受け継いだ賀山茂の尽力によって七年越しの復刊となり、表紙は復刊記念号としていますが、目次のタイトルは創刊号となっています。雑誌コード(IBMコード)02805を吉田稔の時代から引き継いでいますので出版業界でも正式に同じ雑誌の扱いです。
前々回のブログ記事でFranz von Bayros の絵からSM的なものを集めてみましたが、まさか復刊号の表紙がそうだったとは今回の記事を書くまで気付きませんでした。いや気付いたのかもしれませんが記憶が曖昧です。
平成版:平成9年(1997)~平成10年(1998)
創刊号から50周年にあたる平成9年(1997)11月(創刊は1947/11)に新装刊として出版されました。雑誌コードは別物です。
前年にミュシャ展が開かれるなど、この頃の国内では Alfons Mucha の絵が流行し、その影響を受けている様に思います。この頃からアールヌーボー的なものが国内で流行しアニメやコーヒー缶など色々な場面で目にしていた様に思います。
内容的にはSMも扱う風俗雑誌として熟女秘宝館の増刊号として発行され、昭和40年代前半の奇譚クラブに掲載されていた記事やモノクロ写真を数点ほど再掲載しています。
極々初期の奇譚クラブは正にカストリ誌という言葉が相応しく、粗悪な紙で、まるで同人誌の様に薄く、内容的にも素人による手作り感が否めませんが、狙いは当初からエログロのエッジを目指している事が伝わってきます。最近の同人誌と比べると絵の完成度には雲泥の差が有りますが、読者を選ぶ内容の濃さでは引けをとらないと思います。しかし後に須磨利之が参加しなければ10号を待たづに廃刊となり他のカストリ誌同様に戦後の風俗雑誌として一括に忘れ去られていったであろうという雰囲気も醸し出している様に感じます。
須磨利之初期:昭和23年(1948)~昭和25年(1950)
須磨利之が参加してからは絵の完成度が格段に向上していますが、それでも初期の頃は少し垢抜けない感じがしますね。タイトルロゴのブの濁点位置が上から下に移動していますが、ロゴデザインとしては未だ定着する前の状態で時々先祖帰りします。
須磨利之後期:昭和26年(1951)~昭和27年(1952)
この頃からタイトルロゴが定着します。特徴的なブの初出は昭和24年2月25日発行の珍談奇聞讀物集ですが、24年の時点では奇譚の漢字が毛筆っぽいデザインで明朝風のグラフィックデザインが施されたフォントに変わるのは通刊22号 昭和25年7月 珍談と奇聞特集號 からとなり、以後、天星社時代を経て暁出版時代で休刊するまでロゴが踏襲されます。
終戦直後の焼野原時代に始まったB5版の奇譚クラブは、サンフランシスコ条約の発効(つまり表向きの占領終了と部分的主権回復)と同時に須磨利之の絵と供に4月で終了、翌月号の出版は無く、翌々月号(合併号)からA5版へと移行します。この頃には既にロゴが統一され、現代的な雑誌の体裁で完成度も更に高くなっていますが、紙質は表表紙を除いて未だ粗悪な物(目次は若干良質の紙)が利用されています。逆に言うと、この時期は表表紙のみ上質紙が利用され本体表面に糊付けされ、中身と裏表紙は仙花紙のままです。
Chéri Hérouard(La Vie Parisienne)流用:昭和27年(1952)~昭和29年(1954)
A5版に変わり表紙と供に内容も一新、占領軍による検閲が終了した事もあり、まるで異なる雑誌の様に大きく変貌を遂げエログロの濃度が増してSM専門誌としての色を濃くしてゆきます。紙質も向上しており表表紙と裏表紙が一体と成っています。
特大号(曙書房後期、発禁直前):昭和29年(1954)~昭和30年(1955)
天星社に鞍替えする直前の奇譚クラブは発禁前夜まで300頁を超える様な特大号を連発し、波に乗って大ブレイク中の様子が伝わってきます。この時期の奇譚クラブは若干暴走気味で目次を見るだけで満腹感があり、表紙の絵柄も野暮ったい感じがします。
出る杭は打たれると云いますが、出た杭として当局にマークされていた面もあるかもしれません。
白表紙時代:昭和30年(1955)~昭和35年(1960)
特大号の泡が弾けてページ数と厚みが半分に成ってしまいますが値段は1.4倍に値上げしています(インフレを加味しても値上げしている)。
そのぶん濃縮された濃い内容に成っているとも云えそうで家畜人ヤプーはこの時期に登場し、カラー表紙を待たずに去ってゆきました。
白表紙時代の増刊号:昭和33年(1958)~昭和35年(1960)
白表紙時代でも増刊号はカラー表紙でしたが、それまでのカラフルな多色刷りの表紙と異なり落ち着いた色合いの(とは言えSMを全面に出した四馬孝画が登場する)ダークカラーの表紙に成っています。
カラー表紙復活:昭和35年(1960)
特大号で暴走し始める前のA5版当初の雰囲気に回帰しているように思われます。
別冊:昭和30年(1955)~昭和31年(1956)
この時期は、曙書房後期の特大号路線からの教訓なのか、増分を別冊や増刊に振り分けて頁数増加ではなく号数増加で対応している様です。
四馬孝:昭和30年(1955)~昭和31年(1956)
これ以前にも増刊号の表紙を飾る事はありましたが、この時期は立て続けに本誌の表紙を飾り、それまでの四馬孝画と異なりカラフルな多色刷りと成っています。
Chéri Hérouard再び:昭和36年(1961)~昭和37年(1962)
再びA5版初期の雰囲気に回帰しています。
この時期、Chéri Hérouard ばかりではないのですが、どうしてもその影響が先行している様に思います。奇譚クラブと言えば、この頃のデザインが一番印象に残っています。
天星社時代後期~暁出版時代:昭和37年(1962)~昭和50年(1975)
天星社時代の終わり頃から表紙は全て線画・モノクロで統一され、暁出版時代の奇譚クラブは終始この様な簡素な表紙で四馬孝なども含め様々なアーティストの線画・モノクロ画が表紙として採用されていました。
あまり表紙を飾らなくとも固定客に対して安定して売れていた面があるのかもしれず、表紙より中身に注力していたのかもしれません。
この様な簡素な表紙は団鬼六の花と蛇の連載開始と完全に一致している為、花と蛇におんぶに抱っこという面もありそうです。逆に言うと花と蛇の連載及び特集号にカラフルな絵の表紙は一冊もなく、連載全盛期にはグラビアさえも廃止しており、極めつけは昭和45年(1970)8月の臨時増刊、花と蛇決定版で、グラビアどころか挿絵さえも無く活字のみで832頁(1頁は20文字×28行×3段)というSM雑誌としては異例とも言える活字主体の驚異的な長編小説となっており、本誌でグラビアを廃止していた期間なども含め活字に特化していた時期とも言えそうです。
花と蛇の連載が終了してから入れ替わりにグラビアが復活し、グラビアで花と蛇の穴を埋めようとしてか?カラーグラビアなども少しづつ登場し始めますが、この頃に登場していた多数の競合するSM雑誌に対して差別化が難しかった様で数年で休刊と成ってしまいました。活字主体からビジュアル主体へと転向した事で既存の読者が離れていった面も有るかもしれませんし、団鬼六に代わるSM専門の文筆家が登場しなかったという側面もあるかもしれません。
復刊(Franz von Bayrosなど):昭和57年(1982)~昭和58年(1983)
吉田稔から奇譚クラブの商標権を受け継いだ賀山茂の尽力によって七年越しの復刊となり、表紙は復刊記念号としていますが、目次のタイトルは創刊号となっています。雑誌コード(IBMコード)02805を吉田稔の時代から引き継いでいますので出版業界でも正式に同じ雑誌の扱いです。
前々回のブログ記事でFranz von Bayros の絵からSM的なものを集めてみましたが、まさか復刊号の表紙がそうだったとは今回の記事を書くまで気付きませんでした。いや気付いたのかもしれませんが記憶が曖昧です。
平成版:平成9年(1997)~平成10年(1998)
創刊号から50周年にあたる平成9年(1997)11月(創刊は1947/11)に新装刊として出版されました。雑誌コードは別物です。
前年にミュシャ展が開かれるなど、この頃の国内では Alfons Mucha の絵が流行し、その影響を受けている様に思います。この頃からアールヌーボー的なものが国内で流行しアニメやコーヒー缶など色々な場面で目にしていた様に思います。
内容的にはSMも扱う風俗雑誌として熟女秘宝館の増刊号として発行され、昭和40年代前半の奇譚クラブに掲載されていた記事やモノクロ写真を数点ほど再掲載しています。
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