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龍之巣
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直高的 奇譚クラブ
今回は奇譚クラブの表紙をそっくり真似た同人誌を紹介します。

直高的 奇譚クラブ奇譚クラブ本誌の表紙比較
CHOKUTAKAKITAN2.jpg

SMPedia:その後の奇譚クラブの項に同人誌の欄を作って記載しておきました。
類似の同人誌が見付かれば追記してゆきたいと思いますので、コメント下さい。

女性向けBL同人誌ですが、SM作品でもある為、SMペディアへの掲載も問題無いでしょう。

タイトルの“直高的(なおたか)”とは炎の蜃気楼に登場する直江(直江信綱)が攻め(責め)側、高耶(仰木高耶)が受け側の設定で妄想を膨らませたボーイズラブ(言い換えれば男色や男娼)を省略して表したもので、より判り易い様に表紙左下には『炎の蜃気楼 直江×高耶』と明記されています。

以前の記事にも書きましたが、BL系というか“やおい”系同人誌は、そもそも奇譚クラブ(特に四馬考の絵など)に非常に似た特徴が有り、奇譚クラブの影響を受けた物は他にも多数有るのではないかと思われます(この作品は短編小説3作品+漫画1作品で構成され、P70には四馬考画と非常に似た特徴を持つ女性向けの実用的な絵が挿入されています)。

ところで余談ですが、第四表紙(裏表紙)には“KITAN CLUBU”と書いてありますが、
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カストリ時代の初期に“KITAN CLABU”とスペルミスしていた時期が有った事へのオマージュかもしれませんね。
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昭和23年(1948)4月 新緑増大号 第四表紙

こんな小細工までして頂けるのでしたら、どうせならページ番号のカウント方法や目次デザイン、奥付まで徹底的に似せてくれたら感動してしまって愛読書としていたかも?
消えた奇譚クラブ臨時増刊号
奇譚クラブ 昭和33年(1958)3月号 P165
KK5803P175_1.jpg

この様に、3月号の広告として同年2月中旬発売予定の臨時増刊号[予告]が掲載されておりますので、タイミング的に既に準備万端整っている筈で、後は販売するだけの状態で予約販売広告が成されています。

しかし、この年の2月~6月迄に臨時増刊号が発売された形跡がありません。
出版されていない事は通刊番号や巻号によって明らかなのですが、こんな状態で急遽中止されたのは何故でしょう?

こういったタイミングでの予約販売は、市場調査(つまり予約件数から全体の売り上げ予測を立てる)であって、印刷機を回す回数を決める為のものだと思いますが、とは言え編集作業なども行っており表紙デザインも決定しているでしょうから、予約数が少ないからといって発売しないという事には成らないと思いますし、そもそも長期連載しており人気のある作品ですから予約数が少ないとも思えません。

しかし、その答えは、翌4月号本誌巻末に掲載されておりました。
KK5804P176_1.jpg
家畜人ヤプー』特集の臨時増刊号が登場しなかったのも同じ理由かもしれません。とてもプライドが高く拘りのあるMですね。それは、そのままM性の深さにもつながりますので此れを御せる人物にとっては手放したくない物に成りそうです。

しかし、ネット社会の現在でしたら予約した人に対して何ら了承を得ずに代替として四月号を送る事は無いと思われますが、当時は大らかな人が多かったのかもしれません。

では、その代わりの単行本はと言いますと、この約十二年後の昭和45年(1970)12月に『ある夢想家の手帖から』と題して都市出版社から丁寧に製本された単行本が発行されており、その単行本の巻末には天星社に対する御礼の言葉などが添えられています。なぜ12年後に成ってしまったかは著者の細部に渡るこだわりからではないでしょうか?商業的には同年発売された『家畜人ヤプー』単行本に便乗したという見方も出来ます。
縲美苑
奇譚クラブには、非常に数は少ないのですが限定版特集号(特別号)というものが第1弾~第4弾までの合計4冊有ります。詳しくは奇譚クラブ一覧を参照下さい。

その中で異色に見える『縲美苑』というタイトルの第4弾の存在が確認されています。

これを公開されているくろねこさん曰く、海賊版ではないか?との事で私もその可能性は高いと思いますが・・・

仮定として、もしこれが海賊版ではなく、ちゃんとした出版物だとしたら?を考えてみます。

海賊版と言われる事に成った経緯として『別冊奇譚クラブ特集号』の存在が挙げられます。

この号は、縲美苑と内容が同じです。

そして、もう一つの特徴として、別冊であると同時に限定版でもあるという事です。

流れとしては(クリックすると拡大)
KKBGROOTN.jpg
この様に、別冊と限定版が4号目で統合されたのですが、系統図の表紙デザインを見ると斜め上矢印であったなら限定版系統にはデザイン的な違和感が有り、逆に、『縲美苑』はそれまでの限定版的デザインを踏襲しています。

つまり、何が云いたいかというと、表紙デザイン的に見て限定版側の第4弾が『縲美苑』である可能性があるのではないか?という訳です。

実用面を考えますと、通販限定の限定版は表紙をカラーで飾る必要が無い訳で、当時のカラー印刷コストを考えますと印刷コスト削減の意味からも、モノクロ印刷の表紙であった方が安価に製造できるメリットが有ります。

反証としては『縲美苑』なるタイトルの広告が何処にも無い事ですが、その更に反証としては、2種類印刷したが通販に限ってはどちらを出荷しても良い様に『縲美苑』のタイトルを広告から伏せておけば在庫を掃きやすいメリットが有りそうです。

では何故『縲美苑』というタイトルを付与したのか?そこが最大の謎です。

巻号一覧:

---別冊奇譚クラブ---(雑誌コード/IBMナンバー記載なし)
第1巻第1号昭和35年(1960)10月『別冊奇譚クラブ 秋冷新星号 「告白、手記、体験」特集』
第1巻第2号昭和35年(1960)11月『別冊奇譚クラブ 十一月特選号 特異小説「淫火」「狐灯」』
第1巻第3号昭和35年(1960)12月『別冊奇譚クラブ 「マゾヒズム特集号」』
第2巻第1号昭和36年(1961)01月『別冊奇譚クラブ特別号』(限定版特別号)

---奇譚クラブ限定版特集号・特別号---(IBMナンバー2805,第4弾記載なし)
第1弾 昭和34年(1959)2月『緊縛フォトアラベスク』略号「あらべすく」
第2弾 昭和35年(1960)2月『緊縛写真と緊縛画集』 略号「緊縛」
第3弾 昭和35年(1960)?月『緊縛写真グラフ集』  略号「グラフ」
第4弾 昭和36年(1961)1月『別冊奇譚クラブ特別号』略号「別特」

ところで縲美苑とは直接関係ない話ですが、
-別冊の創刊号と最終号表紙-
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創刊号では、二人が一つの王冠の上で相反する方向を向きながらも手をつないでいる絵。
最終号では、一人の男性に二人が歩み寄っている絵。

が描かれています。

これを私なりに解釈しますと、
創刊号はSMという同じ土俵(王冠の上)で本誌と別冊に分かれた(視線が逆を向いている)けど仲良く(手をつないで)やって行こうねという意味。
最終号では別冊と限定版が本誌(男性)に統合(歩み寄り)、これからは一緒に楽しみましょうという意味。
まぁ、深読みし過ぎかもしれませんが・・・
劇画と絵画と漫画の境界線
 先日、私が「海野やよい」の漫画をM女の視点を理解する目的で可也以前から愛読している事を知り合いに伝えましたところ意外だった様で驚かれました。

 「海野やよい」は自他共に認める真性M女であり、もちろん商業誌の漫画家ですから(私の様に脳内垂れ流しではなく)好き勝手に書いている訳ではなく編集部の意向などを取り入れて描いているのですが、ともあれ、そこに真性M女の業が滲み出てくる訳で、それを私は拾っている、つまり絵を見ている訳ではなくストーリーや、その奥にある真性M女の想いを読もうとしています。

 それはさておき「海野やよい」から数十年遡って奇譚クラブの時代に付いてです。

 今回のお題に書きました劇画とは漫画の一分野であって絵画又は絵画調の絵で描かれた漫画の事だと解釈しています。

 では、奇譚クラブに毎号の様に登場している四馬孝の作品は劇画なのか絵画なのか?という疑問が湧いてきます。

 絵画と劇画の違いは、絵が主か、ストーリーが主かの差ではないか?とも思いますが、氏の絵にはストーリーが付される事が多く、そのストーリー有っての絵でもあり、そのストーリーが絵に凝縮しています。

 仮に劇画であるとするなら漫画でもある訳で、雑誌への個人からの投稿という形ですから今で言う同人的な漫画という解釈が成り立つのではないでしょうか?

 ところで、現代の同人誌で“やおい”と呼ばれる分野が有りますが、その元の意味はま無しち無しみ深長or無し構成(女性向けの実用的な絵がメイン)の漫画やラノベの事で主にBL(ボーイズラブ:言い換えれば男色や男娼)的な絵(だけ)で構成されたものです。その多くは少女マンガに登場する様なイケメン風の鋭角的な線で描かれた男性が絡み合ったものですが、より劇画的というか絵画的な絵も多く見受けられます。

 つまり、四馬孝作品と“やおい”同人誌の違い、境界線は何か?というのが今回のお題です。もちろん男性向け女性向けの違いは有るでしょうが、そういう事を云いたい訳では有りません。“やおい”作品にはSM的な表現(多くは首輪&リードロープ)なども多数登場します。

 もっとストレートに云うなら実用メインの劇画風でSM的表現を含んだ絵を中心とした作品集という点で四馬孝作品と“やおい”系同人誌は非常に似通っているというか、一つの側面から見れば全くイコールではないか?とも思う訳です。

 例えば、やおい系同人誌を見る時には、どちらが攻め側で、どちらが受け側なのか関係が最重要視されますが、これが途中で逆転するのは好まれません。同様に、書くまでも無く四馬孝作品ではどちらが責め側で、どちらが受け側なのか明確であり、立場が逆転する事は(私が知る限り)有りませんでした。四馬孝作品にはM女だけを描いたものも多数ありますが、そこには「誰かによって拘束された」という前提があって初めて成り立つ絵ですから、その誰かを自分自身や依頼を受けた調教師などに置換するなどして楽しむ事が前提な訳で関係を重視している事に変わりありません。

--書きかけ--
沼正三 の ID真っ赤 事件
 ID真っ赤 とは“にちゃんねる”等の掲示板で自己擁護やそれに伴って相手を攻撃する投稿を繰り返す行為に対して使われる事が多いと思います。
(私が書くまでもなく「ID真っ赤」でネット検索すれば多数ヒットするので、より詳しく知りたい方はネット検索して頂ければと思います。)

 けれども、当然ですが沼正三氏が“にちゃんねる”で活動してIDを真っ赤に染めていると言っている訳ではありません。ネットなど存在しなかった昭和20~30年代、奇譚クラブの誌上で、今であれば“ID真っ赤”と評されたであろう行為を氏が繰り返している様に見受けられるという意味です。

 私の経験則からですがMの傾向として大きく2種類あり、自分が主と認定した人以外にはチョッとした事でも攻撃的に成る人と、誰彼構わず被虐的な傾向を示す人が居る様に思います。仮に前者を忠犬タイプ、後者を洋犬タイプ、としてみます。
※洋犬と言えども肉食ですから相手によっては牙を剥くのですが、忠犬ハチ公の様に主人以外の命令を絶対聞かないタイプと、誰彼構わず命令を聞いてしまう洋犬という対比です。(もっと適した言葉を思いつけばよいのですが、残念ながら浮かんで来ませんでした)

 そうやって別けてみますと、沼正三氏は明らかに忠犬タイプであって、彼が崇拝する白人女性が絶対神であり、それ以外は下等な種族と認定しチョッとした事でも攻撃的に成る様に感じます。例えるなら家畜人ヤプーに登場するポーリーンの愛犬タロの様な存在です。飼犬ではなく愛犬としているところに彼の思い入れがありそうです。
 つまり、自分は法曹界の上位に居る人間であって黄色人種に絶対文句は言わせない自分がジャッジを下す立場だという意気込みの様な執念の様なものを感じます。法律は白人から有り難く拝領した絶対的な物であって、それを少しでも乱す黄色人種は俺が許さないぞという訳です。
 逆に、白人女性に対しては絶対神を崇めるかの様に無条件降伏で、たとえ理性では間違いだと理解していてもM心を擽られて有り難く拝領してしまう、そんな人物像が浮かんできました。
 時々起きる論争では、自分はマゾヒストの大家であって、黄色人種からマゾヒズムに関する事で絶対文句は言わせないぞ!マゾヒズムとは何かは白人が決める事で、それを俺が翻訳し代弁しているんだ!という勢いを感じます。実際に必ずと言って良いほど西洋の書物を持ち出してきて、ここにこう書いてあるから、これが正しいのだという理論展開をしています。

 と、ちょっと言い過ぎかもしれませんし、氏が生きていたら私も即攻撃対象にされそうですが・・・

 彼の祖父は、とある華族のお抱え車夫(人力車の車夫)をしていた様で、隷属的な家系であり、仕える相手は高貴な方という血筋を祖父から度々幼少期に聞かされており、その血の宿命的なものが彼に鮮烈に残っていたのではないかと思われます。彼の祖父は人間扱いされず家畜的(つまり馬車馬的)な扱いを受ける事を是とし(但し、本人にはそういった自覚が無かった)、仕えていた華族夫人が妊娠した際には排尿を尿瓶で受けて、その尿瓶を持って夫人を乗せた人力車を夫人の行く先々に走らせていた事などが沼正三氏が小説を書く以前の初期(昭和20年代後半)の奇譚クラブに書かれており、まさに家畜人ヤプーの世界観を彼の祖父は地で行っていた事に成ります。彼の白人崇拝は二次大戦の結果として自分の祖父が仕えていた華族が平民へと降下された事への代償行為ではないでしょうか?つまり自分は高貴な方に仕える血筋の筈だから、平民では駄目、敗者も駄目、勝者たる白人の令嬢に仕えるのが自分の使命だと・・・

 こういった忠犬的なMを自分の支配下に置く事はS側の立場では中々気分の良いもので、それを制御し得ている時はとても楽しいのですが、何かをキッカケとして、いわゆる飼い犬に噛まれる状態に発展してしまった時は悲惨です。例えば沼氏の白人崇拝が解けて右寄りに思想転換した場合を想像すると飼い犬に噛まれる白人の様子が容易に理解出来ると思います。逆に洋犬的なMは誰彼構わず尻尾を振って付いてゆく点で鎖が必要であり能動的な事は余り期待出来ませんが、鎖さえ付けていれば手元に置いておくのが容易で、恐らく洋犬的なMから意図して(事故ではなく)噛まれる危険性は殆ど無いと思います。

 とにかく、いつも通り脳内垂れ流しの書きかけです。保存するとデフォルトで公開してしまう設定ですから御容赦下さい。設定変更が面倒とも言えます・・・

以下に、沼正三氏がID真っ赤にしている奇譚クラブを一覧化してみます。

女性がズボンを穿く行為はサディスティックかマゾヒスティックか
※沼氏が吾妻氏に噛み付き、それが発端となって炎上した。
※論点はいつの間にかズボンorスラックスに挿げ替えられている。
※最終回答で沼氏は「武器は他にも有る」と言って他の攻撃手段を匂わせ執拗な執念が伺える。
※編集部より論争打ち切りのコメントが付されているが上記の「他の武器」までは抑止/牽制できていない。
通刊053号 07巻03号 昭和28年(1953)03月号 P020 吾妻新 サディズムの精髄
通刊057号 07巻07号 昭和28年(1953)07月号 P074 沼正三 あるマゾヒストの手帖から
通刊058号 07巻08号 昭和28年(1953)08月号 P132 吾妻新 女のズボンについて
通刊060号 07巻10号 昭和28年(1953)10月号 P070 沼正三 再びスラックスについて
通刊061号 07巻11号 昭和28年(1953)11月号 P150 吾妻新 女のズボン
通刊062号 07巻12号 昭和28年(1953)12月号 P186 沼正三 吾妻氏に最終的に答える

--書きかけ--