私、自宅でメイドさん(アキバに居るメイドさんとは違って、本物のメイドさん)を雇っていた時期がありましたが、これがとても助かりました。こんな人が自宅に居たら私は自分でしたい事以外は何もしなくてよくなりますので仕事が忙しくても楽しくそれに集中する事が出来ました。趣味も同様です。乗馬と水泳が趣味ですが帰宅して疲れている時に片付いた部屋でゆったりストレッチなどが出来るのもメイドさんのお陰でした。
結婚して妻をもつと何かと要求されたり不意に文句を言われたりしてストレスが溜まる事も有りますが、メイドさんなら給金の滞納でもないかぎりは文句を言われたり指図される事はなく帰宅してもストレスフリーで自分のしたい事だけを考えて過す事が出来ます。もちろん、そんな便利な奥さんならメイドも不要でしょうが・・・
私がなぜこんな事を書いているかと言いますと、家畜人ヤプーの世界観は、こういった状況を男女逆にして強化し、そこにフォーカスした様な世界観だからです。
もう一つの特徴は人種カースト制とでも言うべきものが描かれている事でしょう。人種差別というより人種カーストと言った方がより近いと思います。もしくは両者の特徴を合わせた感じでもあります。人種を理由に抑圧しているのではなく、そう在るべきものとして皆が受け入れ進んで従う様に教育され、そう思い込んでいる点でよりカーストに近いと思います。私は仕事でインドに滞在していた時期がありましたが、インドに滞在しますと今でもカースト制が残っている事を肌で感じます。インドのカーストは世襲制ですが、この枠を人種で固定した世界観です。もしくは カースト + アパルトヘイト と言えるかもしれません。
そこで、男女や人種などを自分の好きなように変換しながら読めばS男性にも楽しく読めるのではないでしょうか?逆に、そういったイマジネーションを働かせる事が困難なS男性や右寄りの方には受け入れ難く読解困難な小説かもしれません。私はMの気持ちを知ろうとして読み始めましたが、それは無理でした。その代わりに立場や役割を逆転して読めば、とても楽しく読む事が出来ました。私自身、若干右寄りなんですが、それでも読破出来たのはイマジネーションのおかげだと思います。
これらを踏まえて読んだ時、私が人力車に乗る事が好きな理由も納得されるでしょう。特に女性の牽く人力車に乗って古都を散策する時の気分は、なかなか良いものです(とは言え、くれぐれも車夫/車婦?に対して高圧的な態度で接しないで下さいね。相手は異なる世界観で仕事をしていますので・・・)。ところで読まれた方なら御理解頂けるとは思いますが、私の人力車での楽しみは車夫との会話や景色などではありません。人力車での私の楽しみが最高潮に達するのは人力車の通行が困難な登り坂を女性の車夫が必死に汗を流して牽いている姿を、風を受けて涼みながら汗一つ掻かずに後ろから眺める瞬間であり、登り切った後に見せる車夫の達成感や笑顔や乗り手の私に対する御礼の言葉などです。ぞくぞくしてきますね。そんな女性を我が家に普段から待機させて近所の移動には常に人力車を使いたいと思うくらいです。
加えて、この物語はSFでもありますが、それは恐らく物語を展開しやすくする為であってSFが目的ではないと思います。SFは作者の非現実的な妄想を小説化する上での単なるツールであったのではないか?と思います。
さて、掲載号をまとめるだけのつもりが、こんなにも長い前置きを書いてしまいました。以下では「花と蛇」の発表から遡る6年も前の発禁処分を受けて後に復刊してまもない頃の、言論を抑圧されていた頃を彷彿とさせる時期にスタートした「家畜人ヤプー」の掲載号をまとめております。
奇譚クラブ本誌掲載『家畜人ヤプー』の一覧と目次
--この様に白表紙時代に登場した小説です--
※前半12章までは一度に複数の章を掲載しています。
通刊第090号第10巻第08号昭和31年(1956)12月号 P124 第01章 空飛ぶ円盤の墜落
目次
通刊第091号第11巻第01号昭和32年(1957)01月号 P092 第04章 天馬代謝蛔虫(ペガサスポンプむし)
目次
通刊第092号第11巻第02号昭和32年(1957)02月号 P072 第07章 標準型肉便器(スタンダード・ストウーラー)
目次
通刊第093号第11巻第03号昭和32年(1957)03月号 P096 第08章 起立号令
目次
通刊第094号第11巻第04号昭和32年(1957)04月号 P142 第11章 矮人決斗(ピグミーデュエル)
目次
通刊第095号第11巻第05号昭和32年(1957)06月号 P102 第13章 水晶宮の上階と地階で
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通刊第096号第11巻第06号昭和32年(1957)07月号 P102 第14章 再会
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通刊第097号第11巻第07号昭和32年(1957)08月号 P062 第15章 二つの手術
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通刊第098号第11巻第08号昭和32年(1957)09月号 P080 第16章 海辺のドリス
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通刊第099号第11巻第09号昭和32年(1957)10月号 P066 第17章 夜明けの予備檻で
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通刊第100号第11巻第10号昭和32年(1957)11月号 P154 第18章 畜舎のドリス
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通刊第101号第11巻第11号昭和32年(1957)12月号 P056 第19章 神々の起床
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通刊第102号第12巻第01号昭和33年(1958)01月号 P150 第20章 ソーマ・パーティ迄
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通刊第104号第12巻第03号昭和33年(1958)02月号 P042 第21章 パーティでの出来事
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通刊第105号第12巻第04号昭和33年(1958)03月号 P042 第22章 蓄籍登録
目次
通刊第106号第12巻第05号昭和33年(1958)04月号 P052 第23章 蓄人洗礼儀式
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通刊第109号第12巻第08号昭和33年(1958)07月号 P164 沼正三だより(乗杉貴代子への賛辞など)
目次
--中断後の再開(再開後は別人とも言われている)--
通刊第119号第13巻第03号昭和34年(1959)02月号 P050 前章迄の概略
通刊第119号第13巻第03号昭和34年(1959)02月号 P052 第24章 竜巻号飛ぶ
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通刊第120号第13巻第04号昭和34年(1959)03月号 P060 第25章 長椅子の上と下
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通刊第121号第13巻第05号昭和34年(1959)04月号 P060 第26章 高天原諸景
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通刊第123号第13巻第07号昭和34年(1959)05月号 P082 第27章 遊仙窟で
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通刊第124号第13巻第08号昭和34年(1959)06月号 P080 第28章 狩獵場へ
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通刊第128号第13巻第12号昭和34年(1959)09月号 P116 中絶お詫びのご挨拶
目次
--エピソード--
※第16章 昭和32年(1957)09月号には目次の誤植でP60とされているが実際はP80。
※昭和33年(1958)07月号 P164 にてS女性が乗馬する際の心理を書いた乗杉嬢への賛辞など。
※第26章 昭和32年(1959)04月号には誤植で第二章と書かれている。
※昭和34年(1959)09月号 P116 にて中断した理由や裏事情などが語られている。
中断後の再開(或いは22章以降)で作者が交代したのではないかとされる説が流布しています。確かにそうかもしれませんが、昭和34年(1959)09月号 P116 にある「中絶お詫びのご挨拶」を読むと、そうとも限らない様子が伝わってきます。つまり、発禁を恐れた編集部の添削に対する葛藤などが書かれていて沼正三氏による原作は編集部によって大幅に削除・添削されており、その特異性が良く伝わってくると同時に、後半の作者は沼正三氏というより沼正三氏の原作を元にした編集部の作とも言えそうです。もっとも、これはこの作品に限った事ではなく他のあらゆる小説・漫画・アニメ・映画などなど全ての作品に大なり小なり編集部やスポンサーなどの意向が反映され各種団体による規制が入るのが常ではありますが・・・
なぜ、こんな物をブログに掲載するのか?といえば、ブログネタが無くなってきたから・・・と言うのは嘘です。実は夏風邪?でダウン中です。喉が痛いです。だるいです。
風邪と送金票が何故関係しているか?と言えば、無関係です。ちょっと普段と違う気分で暴走気味なので貼ってしまったのでしょう。
こんな時間に起きているのは、昼間ダウンして寝てたので夜寝付けなくなってしまったという訳です。
えっ?いつもの事?
いえいえ、普段は超早起きなのです。
ついでに、こちらは奇譚クラブと直接関係は無いのですが、中古で入手した奇譚クラブに挿んであった他の雑誌の切り抜きです。つまり、前の持ち主が気に入って切り抜いて、それを“しおり”に代用していたのでしょう。その証拠に、この画像の上部には2~3cmの余白が残されておりました。
SMとは全く無縁の普通のビキニ(たぶん当時としては)ですが時代を感じさせてくれます。1966年の奇譚クラブに挿んでありましたので、その頃の最新ビキニでしょう。たぶんお尻の肉がハミ出ているのを写したのではないか?と思いますが、それよりなにより気に成るのは、やはり当時の女性の体格が一つのポイントです。
最近の女性は神経質な程にダイエットなど努力をされてファッションモデル並みの体形の女性が多いのですが、当時はこのくらいの体形でもビキニを撮影され雑誌に掲載されて切り抜かれてしまっていた訳です。
※本人達(最近の女性)は気付いていないところが厄介ですが、そろそろ健康商材という名の不健康商材の販促に騙されている事に気付くべきですね。
私の主観でもデブは嫌ですが、このくらいのぽっちゃりは大好きです。貧乳スレンダーも大好きでは有りますが、このくらいの肉付きが自然な女性の体格なのでは?とも思います。
その境界線は私には判りませんし、定量的に何かを測るとしても平均値とか死亡率との因果関係から最も健康的な体形を求めるとかの統計的な話であって、本能的に、自然な女性の有り方って、どうなんだろう?という意味では、直感的なものを重視してみるのも良いんじゃないかとも・・・あれれ、やっぱり風邪引いて頭が回ってないのか?ウエストがそれなりに括れている事も境界線の指針になるかもしれません。この写真は少し括れているので私の基準ではOKです。もっと言えば、多少のデブも後背位であれば御尻のラインが結構良く見えます。後背位は人間がサルだった時代から行われていた最も自然な交尾スタイルですから当然なのかもしれませんが、体重200Kgとかの極端なデブでもない限り後背位なら結構欲情できるのではないかと思います。後背位であれば顔も胸も腹も見えませんので、欲情の対象は専らこの姿勢でのヒップラインという事に成りますので・・・
それと、デブは短命ですが、少し脂肪が乗っていた方がスレンダーよりは若干長生きらしいです。特に手術や大怪我や大病した時に、脂肪の有無が生命維持に大きく関与するらしいです。私自身、交通事故で大怪我した時は体重が30Kg程落ちましたが、これがもし事故前に痩せていたら手術に耐えるだけの体力が無かったかもしれないと医者に言われました。食事を栄養源とする場合は消化吸収の長いプロセスが必要ですが、体内にある自分自身の脂肪や筋肉を分解してエネルギー源にする事は、そういったプロセスを省略出来る様です。
さて話を戻しまして、若干肉付きの良い体格の子に、少し小さめのワンサイズ~ツーサイズ小さい水着を強引に着せて、拘束感を演出するっていうソフトなボンデージも楽しいかもしれません。更に剃毛&クロッチ除去してプールにでも連れて行ったら楽しめそうです。といいますか、普通のホテルでそういった事を実際に試してみた事がありまして、1サイズ小さい競泳水着のクロッチを除去して強引に着せて中々楽しめました。更に首輪もしてあげると中々効果的です。そして更にブレスレットやアンクレットと称して細めの拘束具を手首足首に取り付けてゆけば中々です。そのままプールに入るのは監視員に叱られそうですが、プールサイドで涼む程度なら誰も文句を言えないでしょう。
と、気付くとタイトルから脱線して暴走してしまいました・・・
(私自身は、このブログ記事を書くにあたって初めて読み始めました。)
最終的には830ページを超えるぶ厚い辞書並みの厚さに挿絵無しで文字がギッシリ詰った増刊号まで登場しています。
奇譚クラブ誌上で、この小説と双璧を成す『家畜人ヤプー』の特集号が出なかった事が対照的です。私自身Sでありながら『家畜人ヤプー』は以前に読んだ事が有ります・・・理由はMの気持ちを知りたかったからで、読み始めてからどっぷりはまってしまいましたが、右翼団体が反対していた事も納得です。私自身は若干右寄りじゃないかと思いますので、その部分は心理的に抵抗が有りました。しかし、それを乗り越えても先を読み進めて見たい衝動に駆られたのも確かです・・・と、横道にそれてしまいましたが今回は『花と蛇』特集についてですから、本題に戻します。
奇譚クラブ臨時増刊号『花と蛇』特集の一覧と目次
目次を見ると判りますが、毎号の章立てが異なります。
奇譚クラブを題していますが、事実上の『花と蛇』単行本と言える内容である事は目次を見て直に判ると思います。
昭和39年(1964)6月臨時増刊号(懐かしき奇譚クラブより)
※前編15章(発端~結末)
目次
昭和41年(1966)12月臨時増刊号(懐かしき奇譚クラブより)
※続編23章(密室の秘密ショー~羞恥図会の展開)
目次
昭和43年(1968)1月臨時増刊号(龍の蔵書より)
※前編15章+続編23章
目次
昭和44年(1969)5月臨時増刊号(懐かしき奇譚クラブより)
※美女を狙う狼達+新展開(続編後半)27章(清純な令嬢の屈服~結末なき責めの結末)
目次
※この号では、続編の途中を第1章として再構成しているため、月刊本誌には無い章が4ページほど加筆挿入されています。
昭和45年(1970)8月臨時増刊号(龍の蔵書より)
※前編15章+続編23章+続編後半27章+続編加筆9章、合計74章
目次
挿絵を挿まず文章のみで832ページもあり、3センチ6ミリのぶ厚い本です。
定価1000円でした。
当時の1000円は消費者物価指数換算で現在の3100円ですから、なかなかの値段です。
文庫本ではなく、奇譚クラブの臨時増刊号として小説を出版しているところが特徴的とも言えます。
奇譚クラブ月刊本誌掲載『花と蛇』の連載号一覧と目次
こちらは月刊誌に記載された初掲載・初版を見る事が出来ます。読み比べると後に細かな修正が入っている事に気付くでしょう。
--- 花巻京太郎(団鬼六の当初のペンネーム)時代 ---
通刊第168号第16巻第08号昭和37年(1962)8/9月合併号 P156 発端(当時のタイトルは『創作 花と蛇』)
目次
通刊第170号第16巻第10号昭和37年(1962)11月号 P060 第02章 恐ろしい陥穽(目次に誤植あり『女と蛇』)
目次
通刊第171号第16巻第11号昭和37年(1962)12月号 P100 第03章 美人探偵登場(目次同上、落花粉々~浣腸地獄図)
目次
--- 団鬼六に改名後 ---
通刊第178号第17巻第07号昭和38年(1963)07月号 P106 第04章 華麗な浣腸図(浣腸強制~屈伏)
目次
通刊第179号第17巻第08号昭和38年(1963)08月号 P102 第05章 救援者来たる(羞恥地獄~救援者)
目次
以後、量が多い為、画像は割愛させて頂きます。
通刊第182号第17巻第11号昭和38年(1963)11月号 P096 第06章 救援の失敗(逆転~嬲りもの)
通刊第184号第17巻第13号昭和38年(1963)12月号 P088 第07章 餓狼への好餌(京子の屈伏~淫獣の餌)
通刊第186号第18巻第02号昭和39年(1964)02月号 P146 第08章 悪魔の哄笑(毒牙は迫る~遂に美津子も)
通刊第187号第18巻第03号昭和39年(1964)03月号 P162 第09章 恐怖の地下室(悪鬼の饗宴~美津子のおとり)
通刊第188号第18巻第04号昭和39年(1964)04月号 P158 第10章 翻弄される美女(屈辱と羞恥の極~身代りにたつ夫人)
通刊第189号第18巻第05号昭和39年(1964)05月号 P150 第11章 淫蛇の執念(裸踊り~屈辱の挨拶)
通刊第190号第18巻第06号昭和39年(1964)06月号 P186 第12章 美姉妹危し(屈辱の猿ぐつわ~浣腸競演)
通刊第192号第18巻第08号昭和39年(1964)07月号 P142 第13章 色事調教師(遂に京子も~調教師来る)
通刊第193号第18巻第09号昭和39年(1964)08月号 P120 第14章 美津子受難(二人の美女~狂乱の美津子)
通刊第194号第18巻第10号昭和39年(1964)09月号 P194 第15章 結末/落花微塵(美津子の屈伏~スター誕生)
通刊第195号第18巻第11号昭和39年(1964)10月号 P066 鬼六談義「随筆」花と蛇(小説のモデルとなった話について)
---ここで一旦完結(後に前編とされ、続編が登場)---
通刊第196号第18巻第12号昭和39年(1964)11月号 P066 第16章(続編第01回)密室の秘密ショー(プロローグ~洗面器)
通刊第197号第18巻第13号昭和39年(1964)12月号 P158 第17章(続編第02回)脱走の失敗(美津子の脱走~美津子の覚悟)
通刊第198号第19巻第01号昭和40年(1965)01月号 P170 第18章(続編第03回)華やかな饗宴(悪魔の二次会~鬼女の計画)
通刊第199号第19巻第02号昭和40年(1965)02月号 P174 第19章(続編第04回)地獄屋敷へ新顔(新たな獲物~美少年)
通刊第200号第19巻第03号昭和40年(1965)03月号 P120 第20章(続編第05回)翻弄されるカップル(美少年と美少女~恐怖のニラメッコ)
通刊第201号第19巻第04号昭和40年(1965)04月号 P084 第21章(続編第06回)一千万円の身代金(正気づいた小夜子~嵐のあと)
通刊第202号第19巻第05号昭和40年(1965)05月号 P120 第22章(続編第07回)身代金奪取の失敗(小夜子の受難~美しいニューフェイス)
通刊第203号第19巻第06号昭和40年(1965)06月号 P154 第23章(続編第08回)涙の宣誓文(美女と木馬~嵐に立つ小夜子)
通刊第205号第19巻第08号昭和40年(1965)08月号 P178 鬼六談義 映画 花と蛇(映倫との戦いや妥協などが語られている)
通刊第206号第19巻第09号昭和40年(1965)09月号 P090 第24章(続編第09回)運命の逆転劇(悪魔の相談~狂乱の静子夫人)
通刊第207号第19巻第10号昭和40年(1965)10月号 P166 第25章(続編第10回)奇妙な三々九度(鬼女の嬌声~地獄の花嫁)
通刊第208号第19巻第11号昭和40年(1965)11月号 P206 第26章(続編第11回)飼育される白い動物(美しき敗北者~白い指)
通刊第210号第20巻第01号昭和41年(1966)01月号 P184 第27章(続編第12回)悪魔と悪女の悪業(恐ろしい仕事~悪魔の寝室)
通刊第211号第20巻第02号昭和41年(1966)02月号 P138 鬼六談義 日本三文映画(SM映画の舞台裏に付いて語られている)
通刊第211号第20巻第02号昭和41年(1966)02月号 P178 第28章(続編第14回:誤植)屈辱の地獄図絵(猫とねずみ~侵入者)
通刊第212号第20巻第03号昭和41年(1966)03月号 P170 第29章(続編第15回)逃走の恐怖と失敗の結末(風前の灯~勝利に酔う悪魔)
通刊第213号第20巻第04号昭和41年(1966)04月号 P160 第30章(続編第16回)悪鬼達の残忍な所業(朝の酒~ガラスの尻尾)
通刊第214号第20巻第05号昭和41年(1966)05月号 P108 第31章(続編第17回)落花無残の修羅場(若いコンビ~開幕準備)
通刊第215号第20巻第06号昭和41年(1966)06月号 P118 第32章(続編第18回)淫らな美女の調教(嵐のあと~美女合戦)
通刊第216号第20巻第07号昭和41年(1966)07月号 P152 第33章(続編第19回)すさまじいショーの展開(変身~舌と唇)
--書きかけ(花と蛇掲載号を全て抽出予定)--
通刊第285号第25巻第11号昭和46年(1971)11月号 P192 第93章(続編第79回)(姉妹無残~獣の部屋)
通刊第285号第25巻第11号昭和46年(1971)11月号 P237 「花と蛇」の完結を知って(山田正輝)
--エピソード--
※昭和39年(1964年)10月号 P66 鬼六談義にてモデルとなった実話らしきものが語られている。
※続編第3回の目次には団ではなく“團鬼六”と書いてある。
※続編第14回は誤植で実は13回であった為、それ以降の連載回数と章が1回/1章ズレている。
※続編第16回は目次の誤植でP175とされているが実際はP160。
※最終章翌月には贋作『花と蛇』、その更に翌々月からパロディ『花と蛇』連載スタート。著者は山光純。
※最終章翌月「花と蛇」の終焉を知って(千草忠夫)
---美しき縛しめ(うつくしきいましめ/しばしめ)---
※雑誌コード/IBMナンバー/ISBN等記載なし
曙書房時代
第1集 昭和28年(1953)7月 縛られた女ばかりの16態
第2集 昭和28年(1953)12月 縛られた女ばかりの32態
天星社時代
第3集 昭和39年(1964)2月 縛られた美女ばかりの超豪華アルバム
第4集 昭和40年(1965)6月 華々しき女体緊縛の組写真集
第4集 昭和39年(1964)6月発行/昭和41年(1966)2月発売 豊満と清楚(第4集は2冊ある)
第5集 昭和40年(1965)8月 女性刑罰拷問特集 日本版
第6集 昭和40年(1965)8月 緊縛美女艶姿百態
第7集 昭和41年(1966)2月 刺青の魅力を探ぐる
第8集 昭和41年(1966)2月 女斗緊縛競艶場面写真集
第9集 昭和41年(1966)8月 女性刑罰拷問特集 西洋版
第10集 昭和41年(1966)8月 責められる美女百態
第11集 昭和41年(1966)11月 緊縛美態代表作品120葉
曙書房時代には
第一集~第二集では絶対的な枚数は少ないものの、それだけに凝縮され第三集以降とは明らかに異質の、普段あまり見掛けない縛りが多数登場し、一枚一枚が入魂の作と言えます。現代の緊縛写真で目が慣れてしまった方々が見ても初めて緊縛写真を見た時のドキドキ感を久しぶりに味わう事が出来るかもしれません。
この当時の緊縛師は緊縛SMの黎明期であり恐らく経験としてはさほど多くなかったのではないかと思われ、にもかかわらずグッと伝わってくるものがあります。
当時の価格500円を総務省発表の消費者物価指数を元に平成24年の物価に換算すると概ね9.2倍の4,600円に成ります。
天星社時代には現代風の写真集として光沢紙にモノクロ印刷され第三集~第十一集までが発売されています。
第三集以降は中綴じ32ページ構成(8枚×4頁)となり、1ページ辺り1~4枚の写真で構成され一冊合計70~120枚の写真が掲載されています。
当時は戦後インフレの中にあり、定価が倍の1,000円に跳ね上がったにもかかわらず総務省発表の消費者物価指数を元に平成24年の物価に換算すると概ね4.4倍の4,400円で、ほぼ同じ価格(又は若干安価)で販売されています。
両出版社時代ともに写真は全てモノクロで独特の趣があり、基本的には書店での店頭販売はされず、専ら本誌読者限定の通信販売のみ、但し書店側が独自に入手して店頭に並べていた可能性はありそうで、また天星社時代の第6集のみ通販限定を意味する『限定版』の冠が取り除かれ『アルバム』に置き換わっている為、店頭販売されていた可能性もあります。
第4集は2種類あり『豊満と清楚』本体には昭和39年(1964)6月1日発行と印刷されていますが当時の奇譚クラブ本誌には広告掲載されないままお蔵入り?に成ったと思われ、二年後に略号「限二」として改めて突如発売されました。タイトルには第4集の記載が残されたままになっており時期的にみてこちらが第4集のオリジナルと思われます。いくつかの推測が成り立ちますが『豊満と清楚』を印刷した当時、東京都や神奈川県が条例で裸体の描写に厳しい制限を加えてきた為、奇譚クラブ本誌はグラビアを自粛し、裏窓に至っては廃刊に追い込まれた時期ですので、それを考慮しての対応かもしれません。もしくは単に広告し忘れ、通販限定本故に販売されないままダンボールに入れられた状態で放置され、後に倉庫整理などをしていて発掘されて大幅に遅れて広告・販売された可能性などもあります。奇譚クラブ昭和41年(1966)3月号51ページに略号「限二」と並んで略号「美4」が同時に広告されています。
出版社が暁出版に成って以降このシリーズは発表されず、代わりに臨時増刊号として女体緊縛写真集と題した類似の写真集を出しており、特徴としてカラーページが数枚あります。
余談ですが『縛しめ』の送り仮名は一般的ではなく『縛め』と書かれる事が一般的、にもかかわらず第一集~第十一集まで一貫して『縛しめ』で通しています。そこに何らかの強い意志が隠されているのか?否か?は御想像に御任せ致します。
何れにしろ、時代背景(印刷技術)として写真集の出版が困難又は高価な時代に何とかして緊縛グラビアを世に送り出そうとしていた強い意志が感じられます。
こちらに出演モデルの一覧など調査結果を記載しておりますので、よろしければ参照下さい。
奇譚クラブ全巻(本誌/別冊/増刊/限定版)を全て網羅した一覧(のハズ)です。
--昭和22年(1947)--
この時点で日本は連合国軍による占領下にあり、占領軍による検閲を受けながら出版しています。郵便による直販までも検閲を受けています。
通刊第001号第01巻第01号昭和22年(1947)11月『創刊號』
全24頁、中綴じ、18円(消費者物価指数換算で現代の約300円相当)。
昭和22年(1947) 10月20日印刷
昭和22年(1947) 10月25日発行
昭和22年(1947) 10月30日検閲(GHQによる検閲)
奥付には“月刊”と書いてある為、創刊当初より月刊誌を目指していたと思われます。
戦前の雑誌グロテスクの表紙を模した龍の表紙と、冒頭の目次は首吊り処刑台の下に髑髏が無造作に置かれ、その上を蝙蝠が飛び廻り不気味な雰囲気を醸し出しています。
生殖器崇拝と性的神、土俗玩具の研究、十代の娘に避妊手術させて売る母親、人肉の味など、戦前に流行していたエログロナンセンスを踏襲しつつエログロに力を入れた内容となっています。弓削忍「妖花乱れるくるわみち金塚街道に拾う夜の大阪」には度々男娼が登場し、つまり創刊号から男娼を扱っています。もし弓削忍が本名だとすると地域的に物部氏に連なる系統の弓削氏である可能性があり、弓削氏の祖とされる物部守屋の逸話として、3人の尼(娘善信尼・恵善尼・禅蔵尼)を捕らえ、衣をはぎとり全裸に剥いて群衆の目前で鞭打ったとあります。
通刊第002号第01巻第02号昭和22年(1947)12月号『変態奇人號』
全28頁、中綴じ、18円。
昭和22年(1947) 12月 9日検閲(GHQによる検閲)
昭和22年(1947) 12月10日印刷
昭和22年(1947) 12月15日発行
奥付には創刊号に引き続き“月刊”と書いてあります。
大売捌所(現在の出版物取次:東販や日販に相当)として立誠社が記載されています。
日本髪に大蛇の刺青を入れた裸婦が描かれた表紙、冒頭の目次は創刊号と同じ首吊り処刑台と、その隣に裸婦の挿絵(創刊号5ページの挿絵を流用)が追加されました。
サディズムやマゾヒズムに付いて書かれている他、フェティシズム、グキスム(陰部盗覗症患者)、弓削忍「変態奇人狩り種探訪」、矢部文吉「原始人の変態を探る」、左海山人「生殖器崇拝と性的神土俗玩具の研究(二)」など。弓削忍という人物は初期の奇譚クラブに度々登場しています。
この時点では未だ奇譚クラブはSM専門誌ではなく(そもそも、この時代には未だSMという略語が無い)、この特集号で変態奇人をジャンル別けしてそれぞれを紹介し、その1ジャンルとしてサディズムとマゾヒズムをそれぞれ個別に紹介した変態特集と成っています。創刊号にはサド・マゾに関する記載がありませんので、これが奇譚クラブとしては初のサド・マゾを掲載した記事となります。
--昭和23年(1948)--
通刊第003号第02巻第01号昭和23年(1948)01月号『情艶いかもの號』
全28頁、中綴じ、18円。
昭和23年(1948) 1月15日印刷
昭和23年(1948) 1月20日発行
昭和23年(1948) 1月20日検閲所到着
昭和23年(1948) 1月23日検閲完了(GHQによる検閲)
奥付には創刊号,2号に引き続き“月刊”と書いてあります。
オスの鼬に襲われている裸婦の表紙、冒頭の目次は創刊号からの不気味なデザインを継承しています。
拷問・処刑の例として緊縛絵が3態ほど、磔・海老責・吊が紹介されており、これが奇譚クラブ初の緊縛絵となり、またGHQによる本格的な検閲を受けた最初の号でもあります。
カストリ誌が3号で潰れると言われた本当の原因は、風俗誌が3号あたりまで続くとGHQが検閲して潰していた為で、3号まで出すと検閲を逃れる為に誌名を変えていた側面がある様です。
26頁に全裸モデル写真分譲の案内がありますが、これが一般的なヌードなのか、それとも緊縛写真であるかは不明です。当時の秘匿検閲は出版物のみではなく直接の郵便物にまで及んでいましたので不着の分譲写真が多数あったかもしれません。
通刊第004号第02巻第02号昭和23年(1948)02月号『粹人耾奇特集号』
全36頁、中綴じ、22円(消費者物価指数換算で現代の約200円相当)。
昭和23年(1948) 2月15日印刷
昭和23年(1948) 2月20日発行
昭和23年(1948) 6月8日検閲完了(GHQによる検閲)
奥付には創刊号から引き続き“月刊”と書いてあります。
前号で受けた本格的なGHQによる検閲の影響に加え、この号では検閲完了までに4ヶ月を要し、前号までとは一変し有触れた風俗雑誌に変更させられています。以後、サンフランシスコ条約によって日本が部分的に主権を回復した事になるまでGHQによる検閲が続きグロやSMなどの変態的な表現が抑圧されます。
創刊~3号まで使われていた不気味な骸骨と蝙蝠の処刑台を描いた目次の挿絵は有触れたヌードに変更され、3号まで続いたエッジの効いたエログロ路線とは異なり極普通の大衆向け風俗誌に成ってしまった雰囲気が全体に漂っています。
これ以降4巻~7巻までタイトルロゴ、ページ構成、最終ページのグラビアなど統一された構成で出版されています。
当時、検閲を逃れる目的で進駐軍兵士の事を「大男」や「ボーイ」と表現していた事からも判りますが、目次にあります “強 姦ボーイ” は、当時頻発していた進駐軍兵士による日本人女性(一般市民)に対する強 姦をモチーフにしつつ検閲を逃れる為に小平義雄事件を引き合いにしているものと思われますが、そもそも小平義雄事件がことさら過大に喧伝され(逆に進駐軍兵士の事件は一切記事にする事を禁止されてい)た理由はGSによるプロパガンダの一種として進駐軍兵士=米兵による強 姦を日本人が行ったかの様に刷り替える為の印象操作ですと言い切ってよい程の指導が為されていました。
通刊第005号第02巻第03号昭和23年(1948)03月号『愛慾流轉號』
全36頁、中綴じ、22円。
昭和23年(1948) 3月15日印刷
昭和23年(1948) 3月20日発行
昭和23年(1948) 9月21日検閲完了(GHQによる検閲)
奥付には創刊号から引き続き“月刊”と書いてありますが、この号より大売捌所の記載が削除されており検閲の影響で取次を拒否された事が判りますが、それを示すかのように取り締まり強化に対する不満の様な物が編集後記に記載されています。本来の発行日から検閲完了までに半年を要している事も不満であったろうと思われます。この時期は事前検閲ですから半年間の販売停止と同等の処分を受けていた(発行日から事前検閲終了日まで半年)事になるのでしょう。
巻頭言には曰く「奇譚クラブは、古今東西にわたる奇談珍聞を集めて面白く楽しい明朗軽快な娯楽雑誌として堅賓な歩みをつづけてきた。奇譚クラブは、決してエロやグロやスリルをのみ狙うものではない。」としてますが、これは明らかに創刊号から創刊3号までの流れを全く否定する書き出しですから、創刊3号で行なわれたGHQ検閲により軌道修正を余儀なくされた事に対しての鬱憤を冒頭にわざと不自然な形で掲載したのではないかと思われます。目次の挿絵もグロテスクな髑髏と蝙蝠の処刑台を4号でヌードに変更しましたが、それを更にミロのビーナスをモチーフにした様な芸術を狙った挿絵に変更させられています。
結局、この号は占領軍による事前検閲を受けて違反の烙印を押されました。しかしながら後に時々中断しながらも30年近くに渡り出版されている為、これを機に以後プロパガンダに利用されていた可能性もありそうです(そう考えれば、通常短命に終わる筈のカストリ誌が30年に及ぶ長寿を全うする結果となった事も納得出来る)。もしくは耐え忍ぶ反骨精神が有ったのかもしれません。
目次左端に記載のあるマンガ『透明人間の自殺』は何処にも書かない事で透明人間の自殺を表現しているのかもしれませんが、この部分は糊付けされて見えなく成っていましたので掲載取り止めに成った可能性もあります。作者名が判読し辛いのは糊付けを剥がす際に失敗した痕跡で、実物はもっとボロボロですが画像を修正して可能な限り復元しています。
余談ですが、表紙絵を良く見ると不思議な絵ですね。2号~4号まで裸婦が表紙に掲載されていますが、これも検閲の影響で後から不自然に水着などを付けさせられたのかもしれません、夜桜の花見宴会の席で酔っ払って覆面をしてマントをかぶり陽気に踊っている様子なのかもしれませんが・・・
通刊第006号第02巻第04号昭和23年(1948)04月号『艶笑 新緑増大号』
全36頁、中綴じ、22円。
昭和23年(1948)4月15日印刷
昭和23年(1948)4月20日発行
奥付には創刊号から引き続き“月刊”と書いてあり、また第六號と記載されています。
この号は刑法175条[わいせつ物頒布罪]で摘発され、昭和27年(1952)4月1日最高裁への上告棄却で有罪確定(罰金5千円=有罪確定時の消費者物価指数換算で現代の金額に換算して約3万3千円)。
奇譚クラブ初の女体緊縛絵(奇譚クラブにおける緊縛絵の初出は創刊3号ですが男体緊縛ですから、女体の緊縛としては、この号が初)が掲載されております。
通刊第007号第02巻第05号昭和23年(1948)05月号『新鋭短篇特集號』
全36頁、中綴じ、3円値上げし25円(消費者物価指数換算で現代の約230円相当)。
昭和23年(1948)5月15日印刷
昭和23年(1948)5月20日発行
奥付には創刊号から引き続き“月刊”と書いてあり、また第七號と記載されています。
この時点では未だ(表紙タイトルや目次等を除き)横書きの記述方向が右から左へ書かれています。
こちらは昭和21年10月15日発行の雑誌『獵奇』創刊號 裏表紙 です、上の奇譚クラブ通巻7号表紙絵とそっくりですが首筋やへそなど細部が異なります。
通刊第008号第02巻第06号 昭和23年(1948) 臨時増刊 『妖怪変化特輯号』
第6号(4月20日発行)の裏表紙(下の画像)に4月下旬発行の広告が掲載されており、これが通刊8号(臨時増刊は通刊番号としてカウントされる為)と思われます。この号は第7号(5月20日発行)の奥付頁に発売延期の連絡が記載されていますが最終的には出版差し止めに成った可能性があります。
第6号が摘発された影響で出版取り消しに成った可能性もありますが、もし発売されていたとすれば奇譚クラブで初の増刊号になります。実際、次の通刊9号まで半年間に渡って休刊していますので摘発の影響は大きかったのではないかと思われ、半年間の発行停止処分を受けていた可能性もありますが当時はGHQにより検閲の実態を公開する事を禁止されていた為に闇に葬られてしまったのではないでしょうか?また、この頃の事前検閲には半年ほど要していましたが、事後検閲に切り替わるタイミングで発行年月に半年ズレが生じた可能性もあり、半年の発禁か?それとも事後検閲への切り替えで発行タイミングがズレたのか?どちらなのか実態が掴めていません。
翌年7月に『オール小説 妖怪変化特集号』という雑誌が別の出版社から発行されていますが、関連性・内容の類似性などは不明です。
余談ですが、値段が¥2200の様に見えますが非常に小さな点がありまして実際は22円00銭です。消費者物価指数換算で現代の価格にして約200円相当、30~40ページ程度の薄い冊子ですから現代でも妥当な値段と言えそうです。
---昭和23年(1948)7月 事前検閲の終了---
GHQによる直接の事前検閲が終了し、以後、自主的な検閲が求められ、事後検閲に切り替わります。プレスコードに違反した場合は発行停止とする事でメディア業界に対する自己検閲を監督しています。
一般的なカストリ誌であれば、このあたりでネタ切れと検閲の板ばさみで廃刊していたでしょう。ですが半年後に須磨利之を迎えて奇譚クラブは復刊しております。
通刊第009号第02巻第07号昭和23年(1948)10月号『爽秋讀切傑作號』
全52頁、平綴じ、15円値上げして40円(消費者物価指数換算で現代の約370円相当)。
昭和23年(1948)10月5日検閲所到着
昭和23年(1948)10月10日印刷
昭和23年(1948)10月15日発行
昭和23年(1948)10月30日検閲完了
奥付や表紙などには巻号や通刊番号の記載がありませんが、編集後記に第九號を迎える事が出来た事に対する読者への感謝などが述べられています。しかしながら第7号まで続いた“月刊”の文字は残念ながら削除され、発行する事自体が困難な状況に追い込まれていた事を表していると思います。
この号から表紙絵を須磨利之が担当しページ数も大幅に増え、全体の雰囲気が一変しています。
--昭和24年(1949)--
通刊第010号第03巻第01号昭和24年(1949)01月号『競艶力作特集號』
全56頁、平綴じ、40円。
昭和23年(1948)12月30日印刷
昭和24年(1949) 1月 5日発行
目次に三巻一号の記載、奥付に通刊第十號と明記されています。
最終ページに取引高税(現在の消費税に類する税制、施行一年で廃止)を請求する風俗嬢(パンパン嬢)をネタにした漫画が掲載されており当時の時代を映していますね。
通刊第011号第03巻第02号昭和24年(1949)02月号
実物は確認していませんが、1月号が3巻1号、7月号が3巻7号、9月号が3巻8号と明記されている事から、3巻2号~3巻6号まで毎月発行を予定していた可能性が高いと思います。但しGHQや当局などから発行停止処分を受けていた可能性も高く、もしそうであれば仮に流通していたとしても定期購読者と直接注文のみの販売となり出回っていた数も非常に少数であろうと思われます。
別冊は通常、巻号や通刊番号にはカウントされませんが、下記の別冊が通刊11号かつ第3巻2号の位置づけである可能性も否定出来ません。その根拠は次の別冊『第七天國探訪記』の奥付項の記載にあります。
別冊 昭和24年(1949)01月別冊『世界歡楽街めぐり』
全52頁、平綴じ、40円。
昭和24年(1949)1月15日印刷
昭和24年(1949)1月20日発行
奇譚クラブとしては初の別冊と思われます。
紙面、奥付、表紙など見渡しても通刊番号や巻号等の記載は有りません。
世界の歓楽街を巡る特集としながらもプレスコードの影響により連合国側(アメリカ・イギリス・フランス・ロシアなど)の主要国・都市は登場しません。但し当時内戦状態にあった上海と、次いでフランスと深い関係にあるモナコが冒頭に登場している事に吉田の執念が感じられます。前年からのGHQの方針転換により共産主義に対する赤狩りが始まっていた為、上海の記事は検閲を逃れたのかもしれません。
この年は1月号~7月号までの間の半年ぶんの検閲資料が残されていない事に加え、通刊番号や巻号の明記された号が無く、発行・発売の実態が不透明で、かつ、同一内容の別冊を幾度か刷り直すなどしてその場を凌いでいた様で、恐らく2月~7月まで半年近く発行停止処分を受け、定期購読者や直接注文者への郵送販売のみで細々とやっていたものと思われます。
通刊第12号第03巻第03号昭和24年(1949)03月号『珍談奇聞讀物集』
全54頁、平綴じ、45円。
昭和24年(1949)2月20日印刷
昭和24年(1949)2月25日発行
この号には通刊番号や巻号の記載が有りませんが、発行年月日からの推測で恐らく通刊12号であり第3巻 第3号相当であろうと思われます。
タイトルロゴの原型と思われる“ブ”の文字の初出ではないかと思います。
巻頭に赤・青・黒の三色刷り口絵が2ページあり、他のページとは異なる紙が使われています。
通刊第013号第03巻第04号昭和24年(1949)04月号
実物は確認していませんが、1月号が3巻1号、7月号が3巻7号、9月号が3巻8号と明記されている事から、3巻2号~3巻6号まで毎月発行を予定していた可能性が高いと思います。但しGHQや当局などから発行停止処分を受けていた可能性も高く、もしそうであれば仮に流通していたとしても定期購読者と直接注文のみの販売となり出回っていた数も少数であろうと思われます。
別冊は通常、巻号や通刊番号にはカウントされませんが、下記の別冊が通刊13号かつ第03巻第04号の扱いである可能性も否定出来ません。その根拠は下記の別冊奥付項に『前号の裏表紙に予告を載せた』と記載されており、かつ、前回の別冊にはその様な広告が無く、上記の『珍談奇聞讀物集』に広告が有り、これを前号と称している為です。
別冊 昭和24年(1949)04月別冊『第七天國探訪記』
全54頁、平綴じ。
昭和24年(1949)4月 5日印刷
昭和24年(1949)4月10日発行
通刊第014号第03巻第05号昭和24年(1949)05月号『陽春増大號』
実物は確認していませんが、1月号が3巻1号、7月号が3巻7号、9月号が3巻8号と明記されている事から、3巻2号~3巻6号まで毎月発行を予定していた可能性が高いと思います。但しGHQや当局などから発行停止処分を受けていた可能性も高く、もしそうであれば仮に流通していたとしても定期購読者と直接注文や闇市のみの販売となり出回っていた数も少数であろうと思われます。
上記の別冊『第七天國探訪記』の裏表紙↓には次号予告として陽春増大號が記載されています。陽春ですから4~6月でしょう。
高村暢児の連載小説 『売笑婦は泣かず』 の連載第二回(昭和24年2月25日発行 珍談奇聞讀物集に掲載)では(以下次号)の記載で小説が次号に続く体裁で終わっていますが、上記の別冊『第七天國探訪記』には高村暢児としては都会のゴミ箱というタイトルの小説、昭和24年7月5日発行号でも別の小説を掲載し、かつ、それ以降の号でも別の小説を毎号掲載していますので、昭和24年4月~6月までの3ヶ月の間に連載第三回目以降を少なくとも1度は書いているはずで、それが、この5月号、次の6月号になると推察しますが、7月号の34ページに妙な記載があり『売笑婦は泣かず』の最終話は紛失した為に掲載できないと。。。
通刊第015号第03巻第06号昭和24年(1949)06月号
同上
通刊第016号第03巻第07号昭和24年(1949)07月号
全54頁、平綴じ、50円(消費者物価指数換算で現代の価格にして約370円程度)。
昭和24年(1949)7月1日印刷
昭和24年(1949)7月5日発行
奥付に第三巻・第七号の記載あり。
表紙タイトルのロゴが本号と次号のみ先祖帰りしている事やから、印刷・発行日が検閲の影響で前後逆転した可能性が有り得ます。
通刊第017号第03巻第08号昭和24年(1949)09月号
全56頁、平綴じ、50円。
昭和24年(1949)9月10日印刷
昭和24年(1949)9月15日発行
奥付に第三巻・第八号の記載あり。
奥付頁に[美女狂艶責の圖]分譲と題して伊藤晴雨を凌ぐ新進画家の喜多玲子によるカラー注文画(購入者の希望に沿った姿態)を八枚一組千五百円(消費者物価指数換算で現在の価格にして約一万千円程度)で販売する広告が有ります。伊藤晴雨を引き合いにだしていると言う事は緊縛絵を想定している事が容易に想像出来ると思います。
別冊 昭和24年(1949)10月別冊『歡楽街探訪』
この号は4月別冊『第七天國探訪記』と内容が同一ですが、下記の変更があります。
表紙
表紙タイトル (目次と奥付のタイトルは『第七天國探訪記』のまま)
目次項の色 : 緑 -> 赤
値段 : 45円 -> 55円
奥付項の色 : 茶 -> 赤
奥付の印刷・発行日 : 四月 -> 十月
通刊第018号第03巻第09号昭和24年(1949)10月号『戦争と情欲特集』
10月15日発行、表紙に『玲』のサイン。戦争と情欲を特集。
---昭和24年(1949)10月 事後検閲の終了---
GHQによる直接の検閲が終了しますが、プレスコードの効力は昭和27年(1952)4月まで有効とされており、メディア業界への自主検閲の本格的な定着(パノプティコン効果)が始まります。
Gordon W. Prange Collection (University of Maryland)には、ここまでの検閲で検閲官による書き込みなどが記載された新聞や雑誌が保管されており、奇譚クラブも1949年7月(第3巻7号)まで保管されている事を私(龍)自身の手で確認してきました。但し、同年2月~6月つまり第3巻2号~第3巻6号までは抜けていた為、この期間の事後検閲は無作為抽出によって行われていた可能性や発行禁止処分を受けていた可能性などが有ります。
通刊第019号第03巻第10号昭和24年(1949)12月 『好色温泉宿と女 特集』
全72頁、平綴じ、60円。
昭和24年(1949)12月10日印刷・同日発行。
裏表紙及び奥付など巻号、通刊番号ともに記載が見当たりません。
--昭和25年(1950)--
通刊第020号第04巻第01号昭和25年(1950)01月号『読切小説特大号』
全104頁、平綴じ、70円。
昭和25年(1950)1月10日印刷・同日発行。
裏表紙及び奥付に4巻1号と明記されていますが、通刊番号は何処にも記載がありません。背表紙に何も記載されていない(もしくは日焼けして消えた?)のですが、もし記載があれば通刊番号が記載されていたのかもしれません。
表紙の女体の立体的で滑らかな表現が(当時としては)非常に綺麗に仕上がっている印象を受けます。
森静子「深夜の痴戯」で、奇譚クラブ初(かもしれない)レズビアン小説・挿絵が登場しますが、その他の記事は、ありふれた風俗誌の様な内容といった印象を持ちました。
巻末(裏表紙の裏)の女体グラビア印刷の首が(恐らく編集時に誤って)切断されている為、妙な違和感が有ります。
通刊第021号第04巻第02号昭和25年(1950)03月号『肉體と記録-特集-』
同年1月号に肉體と記録特集として以下の内容で予告が掲載されています。が、下記の赤字部分がプレスコードに抵触する為、発禁処分(発禁に成った事実を公言禁止された発禁処分)に成った可能性がありそうです。吉田氏が前年10月の事後検閲終了を検閲そのものの終了だと誤解したのかもしれません。これにより約半年間の発行停止処分となったものと思われます。
ソ聯引揚血涙記「女俘虜の生態」衣笠カオル
青空晴子捕物譚「慟哭する金庫」杉山清詩
或る狂人の告白「私は妻を殺した」宮西利夫
怪奇記録小説「キルマルド断崖の復讐」愛山久
私は断種された 黒岩光
私は米軍のスパイだった 草薙久人
奇譚クラブ別刊 昭和25年(1950)05月 『興安嶺 敗走関東軍その後の実相』
全76頁、平綴じ、定価70円、消費者物価指数を使って現在の価格に換算すると約550円程。
昭和25年(1950)5月1日印刷
昭和25年(1950)5月5日発行
巻号及び通刊番号の記載なし
著者:藤原克己
編集・印刷:吉田稔
発行人:藤井喜一郎(近畿図書社長)
発行所:曙書房
発売元:近畿図書(株)
出版形態が当号のみ特殊で近畿図書が発行人と販売元を代行している事から上記の通刊21号で発禁と半年の発行停止処分を受けていた事を裏付けている(その回避策として近畿図書に販売を代行してもらった)と考える事が出来ると思います。
巻頭口絵に2ページ使った緊縛絵、本文中の挿絵に少なくとも3枚の緊縛絵、その他にも裸体がいくつか描かれており、ノンフィクションを装いながらも日系混血娘の集団がスパイや思想犯として中共便衣隊(共産党軍の私服部隊)や憲兵、特高などに捕縛され、緊縛・拷問を受ける様子が描かれています。口絵や挿絵は恐らく須磨利之ではないかと思われます。
表紙をめくった最初のページに映画化決定の記載がありますので、奇譚クラブ初の映画化された(しかも出版時点で既に映画化が決定していた)小説かもしれず、緊縛や拷問シーンが映画の中でどの様に描写されているか興味があります。
通刊第022号第04巻第0x号昭和25年(1950)07月号『珍談と奇聞特集號』
全100頁、平綴じ、定価70円、消費者物価指数を使って現在の価格に換算すると約550円程。
昭和25年(1950)6月30日印刷
昭和25年(1950)7月 1日発行
但し奥付には二種類の日付が併記されているのみで、印刷日及び発行日として明記されている訳ではない。
通刊番号らしき記載として奥付に第二十二集と記載されているが、巻号の記載は無い。
通刊第023号第04巻第08号昭和25年(1950)09月号『珍相実話特集』
全108頁、平綴じ、定価70円、消費者物価指数を使って現在の価格に換算すると約550円程。
昭和25年(1950)8月25日印刷
昭和25年(1950)9月 1日発行
表紙に4巻8号の記載、奥付及び背表紙に第二十三集の記載
通刊第024号第04巻第09号昭和25年(1950)10月号『魅惑と猟奇特集』
全108頁、平綴じ、定価70円
昭和25年(1950) 9月25日印刷
昭和25年(1950)10月 1日発行
表紙に4巻9号の記載、背表紙に第二十四集の記載
『女学生の私刑(リンチ)肉体を弄ぶ女学生たち』と題して喜多玲子による緊縛と鞭撃ちを行うセーラー服姿の女学生の絵が23ページに掲載されているが半世紀をとうに過ぎた現代でも、この構図が通用する事に感慨深いものがある。
---昭和25年(1950)10月5日、第三種郵便認可取得、毎月1回1日発行---
第三種郵便認可が下りたその月に休刊している様ですが、翌12月以後は白表紙手前まで毎月発売されている様です。途中に合併号が2度有りますが、その2度とも発売自体はあくまで毎月しているといった趣旨の但し書きが奥付周辺に記載されており、また、その2度ともGHQによる検閲が実施されていた時期でも有る為、休刊はしていないが何らかの事情で微妙に発行時期を調整する必要が有ったものと思われます。
この後、発禁処分を受けた昭和30年(1955)5月号をもって認可が消滅している様です。
通刊第025号第04巻第11号昭和25年(1950)12月号『古今珍談くらべ』
全112頁、平綴じ、70円。
昭和25年(1950)11月30日印刷
昭和25年(1950)12月 1日発行
裏表紙に4巻十一号の記載、背表紙に第二十五集の記載
※10月号と12月号の間で、通刊番号と巻号に1号ぶんの差が出来てしまっている。
--昭和26年(1951)--
通刊第026号第05巻第01号昭和26年(1951)01月号『異色愛欲譚』
全112頁、平綴じ、70円。
昭和25年(1950)12月30日印刷
昭和26年(1951) 1月 1日発行
巻号の記載は無いが、背表紙に第二十六集の記載
通刊第027号第05巻第02号昭和26年(1951)02月号『珍談と艶笑読物集』
全112頁、平綴じ、70円。
昭和26年(1951)1月30日印刷
昭和26年(1951)2月 1日発行
表紙に5巻2号の記載、背表紙に第二十七集の記載
---昭和26年(1951)1月24日、日本国有鉄道特別扱承認雑誌 第1887号---
この承認を取得する事で国鉄を使った定期的な大量輸送が安価に成る代わりに、定期化が必須と成り、また、それなりの発行部数が必要でもあります。大阪を夜出発し翌朝には東京に到着する夜行便を使って関西と関東での同時発売が可能と成ります。
この後、第三種郵便認可と同じく発禁処分を受けた昭和30年(1955)5月号をもって承認が消滅している様です。
通刊第028号第05巻第03号昭和26年(1951)03月号『軟派小説決定版』
全112頁、平綴じ、定価90円、消費者物価指数換算で現代の価格にして約600円相当。
昭和26年(1951)2月28日印刷
昭和26年(1951)3月 1日発行
表紙及び裏表紙に5巻3号の記載、通刊番号の記載不明
通刊第029号第05巻第04号昭和26年(1951)04月号『妖色讀物決定版』
全112頁、平綴じ、定価90円、消費者物価指数換算で現代の価格にして約600円相当。
昭和26年(1951)3月30日印刷
昭和26年(1951)4月 1日発行
奥付及び裏表紙に5巻4号の記載、通刊番号の記載無し
通刊第030号第05巻第05号昭和26年(1951)05月号『われ女群に包囲さる』
全112頁、平綴じ、90円。
昭和26年(1951)4月30日印刷
昭和26年(1951)5月 1日発行
奥付及び裏表紙に5巻5号の記載、通刊番号の記載無し
通刊第031号第05巻第06号昭和26年(1951)06月号
全112頁、平綴じ、90円。
昭和26年(1951)5月30日印刷
昭和26年(1951)6月 1日発行
奥付及び表紙・裏表紙に5巻6号の記載、通刊番号の記載無し
通刊第032号第05巻第07号昭和26年(1951)07月・08月合併号
全112頁、平綴じ、90円。
昭和26年(1951)6月30日印刷
昭和26年(1951)7月 1日発行
奥付及び表紙・裏表紙に5巻7号の記載、通刊番号の記載無し
通刊第033号第05巻第08号(恐らく上記に合併)
当時の合併号は、刊号及び通刊番号も含め合併している為、この号も上記合併号に合併されているものと思われる。
通刊第034号第05巻第09号昭和26年(1951)09月号
全112頁、平綴じ、90円。
昭和26年(1951)8月30日印刷
昭和26年(1951)9月 1日発行
奥付及び表紙・裏表紙に5巻9号の記載、通刊番号の記載無し
通刊第035号第05巻第10号昭和26年(1951)10月号
全120頁、平綴じ、90円。
昭和26年(1951) 9月30日印刷
昭和26年(1951)10月 1日発行
奥付及び表紙・裏表紙に5巻10号の記載、通刊番号の記載無し
通刊第036号第05巻第11号昭和26年(1951)11月号
全132頁、平綴じ、90円。
昭和26年(1951)10月30日印刷
昭和26年(1951)11月 1日発行
奥付及び表紙・裏表紙に5巻11号の記載、通刊番号の記載無し
この目次の絵は私の理想の女体です。乳房は大き過ぎず若干小振りで、ウエストは括れ過ぎずに括れ、腰と太もものボリューム満点。顔も鼻が高過ぎず低過ぎず、眉毛は現代でも通じる細眉で・・・着衣のまま後手に縛って片足を持ち上げ、猿轡をはめて着衣の上から乳首の先端を顔が歪むまで絞り上げ、食事も忘れて一日中ジワジワと執拗に責め続けてみたい、そんな妄想を喚起させてくれます。
通刊第037号第05巻第12号昭和26年(1951)12月号『男色天国繁昌記』
全132頁、平綴じ、90円。
昭和26年(1951)11月30日印刷
昭和26年(1951)12月 1日発行
奥付及び表紙・裏表紙に5巻12号の記載、通刊番号の記載無し
--昭和27年(1952)--
通刊第038号第06巻第01号昭和27年(1952)01月号
全132頁、平綴じ、90円。
昭和26年(1951)12月30日印刷
昭和27年(1952) 1月 1日発行
奥付及び表紙・裏表紙に6巻1号の記載、通刊番号の記載無し
この号が初ではないかと思われますが、巻頭にカラーグラビア写真が掲載され、かつ、その写真は今でこそ珍しくありませんがヘアヌード写真に成っています(但しSMとは無縁と思われる山林を背景とした野外撮影の極普通のヌード写真です)。色収差(もしくは単に印刷時の色ズレ)の為にボヤケていますが、当時としては雑誌にカラーのグラビア写真は目を引いたのではないでしょうか?(先日、戦前~戦中のアサヒグラフを神保町で見かけましたが表紙にカラーグラビア写真を使っていましたので技術的には既にある程度普及していたのだと思います)
この号に付いて昭和29年10月号(通刊第073号:第08巻第10号)P274に記載が有り「新春湯浴」として三人のモデルが掲載されているとしていますが、実際には、それらしき写真の掲載が有るのみで、その様なタイトルの記載は目次及びグラビアのいづれにも見当たりません>>同じ号を1冊追加購入したところ、そちらには有りましたので切り抜きされていた可能性が有ります。最初の一冊は古書店が再販する際に切れ端を処理したのかもしれません。
目次は綴じ代が少なくホチキス直近まで記載がありフラットスキャナで解体せずにスキャンした為、像に歪みが出来てしまいました。スキャナが届かない部分をデジカメで撮影し合成している為に継ぎ接ぎだらけの目次画像に成っています。
通刊第039号第06巻第02号昭和27年(1952)02月臨時増刊号『魅惑』
全122頁、平綴じ、90円。
昭和27年(1952)1月30日印刷
昭和27年(1952)2月 1日発行
奥付及び表紙・裏表紙に6巻2号の記載、通刊番号の記載無し
創刊6周年記念と表紙に記載されていますが創刊は昭和22年10月ですから5周年の誤植と思われますが、年度でいえば6年目突入・・・なのか。
こちらは須磨が奇譚クラブの前に自分で出版していた同じタイトル『魅惑』という雑誌。同じタイトルにした事に何か想いがありそうですよね。
通刊第040号(2月号か?)
通刊40号の実在は未だ確認されていません。前号が臨時増刊、次号が3月号であり、2月号の可能性が高いのですが、刊行されていない可能性もあります。巻号の記載ですと魅惑が2月号ですが、それが何故臨時増刊なのか・・・
こちらのページは通刊64号204ページの記載ですが、左上にバックナンバーリストがあり臨時増刊はリストから除外されています。しかし2月号は魅惑特集という臨時増刊と同じ趣向のタイトル。謎が深まります。
通刊第041号第06巻第03号昭和27年(1952)03月号『3月特大号』
全126頁、平綴じ、90円。
昭和27年(1952)2月20日印刷
昭和27年(1952)3月 1日発行
奥付及び表紙・裏表紙に6巻3号の記載、通刊番号の記載無し
裏表紙に記載された印刷日が1月20日に成っている為(たんに誤植かもしれないが)何らかの理由(GHQ検閲により改訂命令が出て2月に間に合わなかった等)で2月号として印刷した物を3月号として出版した可能性もある。
通刊第042号第06巻第04号昭和27年(1952)04月号『4月躍進号』
全120頁、平綴じ、90円。
昭和27年(1952)3月30日印刷
昭和27年(1952)4月 1日発行
奥付及び表紙・裏表紙に6巻4号の記載、通刊番号の記載無し
美輪明宏のデビューに合わせたのか、或いは宝塚歌劇のヒットに合わせたのか、中性的で男性とも女性とも判別の付かないバイセクシャルな表紙が新しい時代を予感させている気がします。
冒頭には奇譚クラブの地元、大阪の天王寺・新世界ジャンジャン横丁(現存)の当時の風景写真で8ページ全て埋め尽くされ切り貼りのヌード写真を合成して掲載、地図ページから始まり当時の天王寺の様子に付いて17ページを割いて語られています。例:「すたれたZボール」昨年の春、この通りでゼットボールにビンゴ、ロケットボール等が全盛をきわめていた頃、一軒も無かつたパチンコが今では八軒にも増えて、すっかりZボールのお株を奪つてしまつた。
SM関連の話題は未だ少なく、貞操帯『すみれ夫人肉体図絵』絵:須磨としゆき、緊縛・鞭打ち『巫女屋敷の責絵巻』絵:喜多玲子、裏表紙裏に大蛸に雁字搦めに成って小刀で抵抗している女性の絵、など。
主流は依然として戦争と性風俗を絡めた自虐ネタと成っています。
この4月1日(つまりエイプリールフール)に通刊第6号で摘発を受けた[わいせつ物頒布罪]に付いての係争が最高裁への上告棄却により有罪確定、五千円の罰金刑。
当時の五千円は消費者物価指数換算で現代の価格にして約3万3千円。
--A5版--
B5版からA5版へと移行した理由として非常に重要な位置を占める要素としてサンフランシスコ条約の発効により日本が主権を回復した事にして、GHQによる検閲とプロパガンダが終了した事が挙げられます。
プレスコードの終了と郵便物に対する検閲を終了させる法律が施行され、以後、実働部隊による検閲は終了していますが、メディア業界全体に習慣としてプレスコードが根付いており、自主的な検閲が継続している事が新聞や出版物から伺えます。但し「奇譚クラブ」はこれを境に大きく変貌を遂げ、後にSM専門誌と云われる物へと変わって行きます。
通刊第043号第06巻第05号昭和27年(1952)05月・06月合併号『戦爭と性慾特輯号』
全180頁、平綴じ、90円。
昭和27年(1952)5月30日印刷
昭和27年(1952)6月 1日発行
表紙・裏表紙に六巻六号の記載、しかし奥付には六巻五号、通刊番号の記載無し
最初のA5版。以後の表紙はフランスの La Vie Parisienne 誌の物を流用し、雰囲気が大きく替わっている。
この号からSM専門誌と思われがちですが、副題の『戦爭と性慾特輯号』が示す通り、実態としてはB5版の頃から続いてきた戦争と性風俗を絡めた形でGHQによって推進されていた自虐的な話題で埋め尽くされたプロパガンダ的な要素を残した号で、その中にスパイスとしてSMがちりばめられています。
定価90円、消費者物価指数換算で現代の価格にして約600円。
通刊第044号第06巻第06号
この号は恐らく上記に合併したものと思われます。
巻号の記載は下記の通りです。
奥付記載:第六巻 第五号 新録五・六月合併号
表紙記載:第六巻 第六号 6月号
通刊第045号第06巻第07号昭和27年(1952)07月号『女天下時代特集号』
全206頁、平綴じ、90円。
昭和27年(1952)6月30日印刷
昭和27年(1952)7月 1日発行
表紙・裏表紙・奥付・扉に六巻七号の記載、扉(P15)に通刊第四十五号の記載、以下の号は巻号及び通刊番号を正確に把握出来ています。
女天下時代特集号として、サディスト女性や、マゾ男性を扱い特集を組みSM専門誌的なものが表面化してきている。
通刊第046号第06巻第08号昭和27年(1952)08月号『女体相撲艶色史』
全214頁、平綴じ、90円。
昭和27年(1952)7月20日印刷
昭和27年(1952)8月 1日発行
表紙・奥付・扉に六巻八号の記載、扉(P15)に通刊第四十六号の記載、以下記載省略
通刊第047号第06巻第09号昭和27年(1952)09月号『倒錯の告白』
通刊第048号第06巻第10号昭和27年(1952)10月号『切支丹迫害史』
通刊第049号第06巻第11号昭和27年(1952)11月号『宗教刑罰戦慄画譜』
通刊第050号第06巻第12号昭和27年(1952)12月号『惑溺の愉悦特集号』
--昭和28年(1953)--
通刊第051号第07巻第01号昭和28年(1953)01月号摘発[わいせつ物頒布]
定価が10円上がって100円に成るも、消費者物価指数換算で現代の価格にして約600円相当であり物価上昇に併せた値上げ。
この号も、わいせつ物頒布罪で摘発を受けています。
摘発理由は『戦争処女の手記』『人妻告白記・妻の復讐』『らぶ・すれいぶ』などの掲載内容が問題とされた為。
通刊第052号第07巻第02号昭和28年(1953)02月号
通刊第053号第07巻第03号昭和28年(1953)03月号
通刊第054号第07巻第04号昭和28年(1953)04月号
沼正三の初投稿『神の酒(ネクタール)を手に入れる方法』=汲取式の便所に簡単な仕掛けをして女性の尿を(相手に悟られない様に)入手する方法を詳しく説明しつつ自身で実践した際の体験談も語っている。
通刊第055号第07巻第05号昭和28年(1953)05月号
通刊第056号第07巻第06号昭和28年(1953)06月号
通刊第057号第07巻第07号昭和28年(1953)07月号
通刊第058号第07巻第08号昭和28年(1953)08月号
通刊第059号第07巻第09号昭和28年(1953)09月号
通刊第060号第07巻第10号昭和28年(1953)10月号
通刊第061号第07巻第11号昭和28年(1953)11月号
通刊第062号第07巻第12号昭和28年(1953)12月号
通刊第063号第07巻第13号昭和28年(1953)12月臨時増刊号『アリスの人生学校』
--昭和29年(1954)--
通刊第064号第08巻第01号昭和29年(1954)01月号
沼正三に影響を与えた“ダイアナ夫人”の初掲載号。
通刊第065号第08巻第02号昭和29年(1954)02月号
通刊第066号第08巻第03号昭和29年(1954)03月号発禁[発売頒布禁止処分]
この号は発売4日目に発禁処分(発売頒布禁止処分)を受けた為、流通量が少ないと思われる。
通刊第067号第08巻第04号昭和29年(1954)04月号
通刊第068号第08巻第05号昭和29年(1954)05月号
通刊第069号第08巻第06号昭和29年(1954)06月号
通刊第070号第08巻第07号昭和29年(1954)07月号
通刊第071号第08巻第08号昭和29年(1954)08月号
通刊第072号第08巻第09号昭和29年(1954)09月号
通刊第073号第08巻第10号昭和29年(1954)10月号『特大号』
特大号として頁数を増大(前号226頁から82頁増やし308頁)、40円値上げして定価140円、値上げ幅と増加頁数がほぼ比例している。
消費者物価指数換算で現代の価格にして約800円(前号は約600円)。
通刊第074号第08巻第11号昭和29年(1954)11月号『特大号』
通刊第075号第08巻第12号昭和29年(1954)12月号『特大号』
--昭和30年(1955)--
通刊第076号第09巻第01号昭和30年(1955)01月号『特大号』
通刊第077号第09巻第02号昭和30年(1955)02月号『特大号』
通刊第078号第09巻第03号昭和30年(1955)03月号『特大号』
通刊第079号第09巻第04号昭和30年(1955)04月号『特大号』(初IBMナンバー2805印字)
この号で初めてIBMナンバーが刻印され、以後、昭和58年(1983)の復刊号まで同じ番号が使われています。
通刊第080号第09巻第05号昭和30年(1955)05月号『特大号』
発禁処分(発行禁止処分)を受けて休刊。通常、発行禁止処分を受けた場合には以後、その雑誌を発行出来なくなる為、その雑誌は廃刊に追い込まれる。
通刊第081号第09巻第06号昭和30年(1955)10月号『復刊第一号』曙書房->天星社 白表紙
発禁処分(発行禁止処分)を受けてから僅か五ヶ月で会社を替えて(奇譚クラブを出版する為に新たに会社を興して)復刊した最初の号であり、最初の白表紙(厳密には創刊号も白表紙だが・・・)。
定価200円。消費者物価指数換算で現代の価格にして約1,200円。
通刊第082号第09巻第07号昭和30年(1955)11月号復刊第02号
復刊2号目にして再度休刊(四ヶ月休刊)
--昭和31年(1956)--
通刊第083号第10巻第01号昭和31年(1956)04月号復刊第03号 新連載『赤い花は泣いている』
四ヶ月の休刊を経て再び復刊。しかし復刊第3号として(扉頁に)印刷されています。
この号からを白表紙時代と呼ぶ事が有る様です。
雑誌コードの前身に当たるIBMコードが復活したのはこの号からで、従って書店での注文販売が復活したのも、この号からという事に成るかと思います。
通刊第084号第10巻第02号昭和31年(1956)05月号復刊第04号『傑作小説特集号』
---昭和31年(1956)4月20日、第三種郵便物認可取得、毎月1回1日発行---
恐らく5月号には間に合わなかったと思われますが、復刊から僅かな期間で第三種郵便物の認可を再取得しており6月号の裏表紙には印刷ではなく印刷後の押印によって認可取得日が追記されています。但し国鉄の特別扱承認は再取得しておらず、4年後の昭和35年6月に大阪局での再取得となります。
通刊第085号第10巻第03号昭和31年(1956)06月号復刊第05号『奈子の自己愛について』『大衆文学に現れた責めの描写』
通刊第086号第10巻第04号昭和31年(1956)07月号復刊第06号『被縛症』『漬滅の前夜』
通刊第087号第10巻第05号昭和31年(1956)08月号復刊第07号『光りある中を』『私の蒐集帖-緋草紙より』
通刊第088号第10巻第06号昭和31年(1956)09月号復刊第08号『恋の脱殼』『寄生虫』
通刊第089号第10巻第07号昭和31年(1956)10月号復刊第09号『黒女皇』『サディズムシーン詳察』
通刊第090号第10巻第08号昭和31年(1956)12月号復刊第10号『沈黙の館』『黄色オラミ誕生』
『家畜人ヤプー』の連載開始
--昭和32年(1957)--
通刊第091号第11巻第01号昭和32年(1957)01月号復刊第11号『家畜人ヤプー』『魔海の業火』
通刊第092号第11巻第02号昭和32年(1957)02月号復刊第12号『私は街の道化者』『白衣の傍観者』
通刊第093号第11巻第03号昭和32年(1957)03月号復刊第13号『続・漬滅の前夜』『花と朔風』
通刊第094号第11巻第04号昭和32年(1957)04月号復刊第14号『木馬責に関するノート』『続・切腹曼荼羅図絵』
通刊第095号第11巻第05号昭和32年(1957)06月号復刊第15号『我が異常性の記』『L・T商会』
通刊第096号第11巻第06号昭和32年(1957)07月号復刊第16号『マットに生きる夢』『黒いペチコート』
通刊第097号第11巻第07号昭和32年(1957)08月号復刊第17号『恋する婦人への手紙』『続・漬滅の前夜』
通刊第098号第11巻第08号昭和32年(1957)09月号復刊第18号『痛められし桃の実』『病床徒然草』
通刊第099号第11巻第09号昭和32年(1957)10月号復刊第19号『終戦奴隷』『美容病院』
通刊第100号第11巻第10号昭和32年(1957)11月号復刊第20号『ダイアナ夫人』『残虐芸術展覧会』
通刊第101号第11巻第11号昭和32年(1957)12月号復刊第21号『カラーシヤの教典』『真実は誰も知らない』
--昭和33年(1958)--
通刊第102号第12巻第01号昭和33年(1958)01月号復刊第22号『女賊変化』『映画女優緊縛に関する一考察』
通刊第103号第12巻第02号昭和33年(1958)01月臨時増刊号復刊第23号『責小説特集』
通刊第104号第12巻第03号昭和33年(1958)02月号復刊第24号
通刊第105号第12巻第04号昭和33年(1958)03月号復刊第25号『魔教圏No.8』『シナリオとその周囲』
通刊第106号第12巻第05号昭和33年(1958)04月号復刊第26号『捕われの令嬢』『十三人目の奴隷』
通刊第107号第12巻第06号昭和33年(1958)05月号復刊第27号『赤いペチコート』『障碍への道』
通刊第108号第12巻第07号昭和33年(1958)06月号復刊第28号『バー「ナナ」の人々』『結婚の条件』
通刊第109号第12巻第08号昭和33年(1958)07月号復刊第29号『特異な角度から』『お町の最後』
通刊第110号第12巻第09号昭和33年(1958)07月臨時増刊号復刊第30号『SADO特集号・第一集』
通刊第111号第12巻第10号昭和33年(1958)08月号復刊第31号『身悶える妖精』『バー「ナナ」の人々』
通刊第112号第12巻第11号昭和33年(1958)09月号復刊第32号『お座敷シネプロ始末記』『草雙紙に於ける責場の研究』
通刊第113号第12巻第12号昭和33年(1958)10月号復刊第33号『女水兵哀史』『翳り』
通刊第114号第12巻第13号昭和33年(1958)11月号復刊第34号『涙は宇宙空間に輝く』緊縛映画スナップ『残菊の巻』
通刊第115号第12巻第14号昭和33年(1958)11月臨時増刊号復刊第35号『青い廃院』
通刊第116号第12巻第15号昭和33年(1958)12月号復刊第36号『継母』『白い玩具』
--昭和34年(1959)--
通刊第117号第13巻第01号昭和34年(1959)01月号復刊第37号『花臀』『美女処刑之賦』
通刊第118号第13巻第02号昭和34年(1959)01月臨時増刊号復刊第38号『悦特No.1』
通刊第119号第13巻第03号昭和34年(1959)02月号復刊第39号『愛憎磔裸女』『十七娘火焙哀話』
限定版 第1弾 昭和34年(1959)2月『緊縛フォトアラベスク』略号「あらべすく」
通刊第120号第13巻第04号昭和34年(1959)03月号復刊第40号『乳房に火をつけるな』『家畜人ヤプー』
通刊第121号第13巻第05号昭和34年(1959)04月号復刊第41号『ラモス邸の夜会』『悪徳教師考』
通刊第122号第13巻第06号昭和34年(1959)04月臨時増刊号復刊第42号『SADO特集号・第二集』
通刊第123号第13巻第07号昭和34年(1959)05月号復刊第43号『王宮の浣腸室』『自分をハダカにする』
通刊第124号第13巻第08号昭和34年(1959)06月号復刊第44号『女体緊縛美について』『黄昏の牧神』
通刊第125号第13巻第09号昭和34年(1959)06月臨時増刊号復刊第45号『悦特No.2』
通刊第126号第13巻第10号昭和34年(1959)07月号復刊第46号『謎の緊縛フォト』『満月の島』
通刊第127号第13巻第11号昭和34年(1959)08月号復刊第47号『続・運命の少女』『馬化白書』
限定版 第2弾 昭和34年(1959)8月『緊縛写真と緊縛画集』 略号「緊縛」
通刊第128号第13巻第12号昭和34年(1959)09月号復刊第48号『狙われた女給の手記』『Hと自称する女』
通刊第129号第13巻第13号昭和34年(1959)10月号復刊第49号『或る倒錯生活』『バスガールの運命』
通刊第130号第13巻第14号昭和34年(1959)11月号復刊第50号『影の国』『女はそれでも我慢が出来る』
通刊第131号第13巻第15号昭和34年(1959)11月臨時増刊号復刊第51号『SADO特集号・第三集』
通刊第132号第13巻第16号昭和34年(1959)12月号復刊第52号『黒井チエの青春』『黄色オラミ誕生』
--昭和35年(1960)--
通刊第133号第14巻第01号昭和35年(1960)01月号復刊第53号『緊縛モデル撮影風景と女体責の種々相について』
通刊第134号第14巻第02号昭和35年(1960)01月臨時増刊号復刊第54号『悦特No.3』
通刊第135号第14巻第03号昭和35年(1960)02月号復刊第55号『雌雄』『猿轡放談』
通刊第136号第14巻第04号昭和35年(1960)03月号復刊第56号『私は死にたくない』『阿修羅姫君』
通刊第137号第14巻第05号昭和35年(1960)03月臨時増刊号復刊第57号『SADO特集号・第四集』
通刊第138号第14巻第06号昭和35年(1960)04月号復刊第58号『蠢く蒼い群れ』『ハイド侯爵夫人』
通刊第139号第14巻第07号昭和35年(1960)04月臨時増刊号復刊第59号『悦特No.4』
通刊第140号第14巻第08号昭和35年(1960)05月号復刊第60号『悪夢の記憶』(最後の白表紙)
通刊第141号第14巻第09号昭和35年(1960)06月号復刊第61号『新録躍進哀憫美形特集号』カラー表紙
通刊第142号第14巻第10号昭和35年(1960)06月臨時増刊号復刊第62号『悦特No.5』
通刊第143号第14巻第11号昭和35年(1960)07月号復刊第63号『麦秋増大号』
限定版 第3弾 昭和35年(1960)7月『緊縛写真グラフ集』 略号「グラフ」
通刊第144号第14巻第12号昭和35年(1960)08月号復刊第64号『清夏増大号』
---昭和35年(1960)6月17日、国鉄大局特別扱承認雑誌 第122号---
書店での本格的な販売が再開されカラー表紙に成った頃に申請されたものと思われ、8月号の印刷には間に合わなかった様ですが、9月号の裏表紙に印刷されています。曙書房時代とは承認局と承認番号が異なる様です。
その後、出版社が暁出版に代わる昭和42年(1967)まで継続しています。
通刊第145号第14巻第13号昭和35年(1960)09月号復刊第65号『早秋特大号』
この号で復刊番号のナンバリングは一旦終了。以後、昭和57年(1982)の復刊まで復刊番号が振られる事は無い。
通刊第146号第14巻第14号昭和35年(1960)10月号『新装十月特大号』
新装、写真頁を増大、にここまで続いてきたLa Vie Parisienne 誌の表紙絵流用に代えて四馬孝画を使った表紙(第1表紙~第4表紙の全て四馬孝画)が登場し始める。
別冊 第1巻第1号昭和35年(1960)10月『別冊奇譚クラブ 秋冷新星号 「告白、手記、体験」特集』
通刊第147号第14巻第15号昭和35年(1960)11月号『新装十一月特大号』
別冊 第1巻第2号昭和35年(1960)11月『別冊奇譚クラブ 十一月特選号 特異小説「淫火」「狐灯」』
通刊第148号第14巻第16号昭和35年(1960)12月号『恍悦女体ハイライト』『吊責遊び方教室』
別冊 第1巻第3号昭和35年(1960)12月『別冊奇譚クラブ 「マゾヒズム特集号」』
--昭和36年(1961)--
通刊第149号第15巻第01号昭和36年(1961)01月号『新年増大号』
限定版 第4弾 昭和36年(1961)1月『別冊奇譚クラブ特別号』略号「別特」
別冊 第2巻第1号昭和36年(1961)01月『別冊奇譚クラブ特別号』(限定版特別号)
通刊第150号第15巻第02号昭和36年(1961)02月号『新装二月増大号』
この号を最後に四馬孝画が表紙から消えるが、同時にIBMナンバーの刻印も消えている事から流通大手との取引停止等の何らかの転機と成っている可能性が有る。この後、昭和45年(1970)12月臨時増刊号で雑誌コードとして復活するまで10年間ものあいだIBMナンバー/雑誌コードが刻印される事は無い。
通刊第151号第15巻第03号昭和36年(1961)03月号『新装三月増大号』
通刊第152号第15巻第04号昭和36年(1961)04月号『新装四月増大号』
通刊第153号第15巻第05号昭和36年(1961)05月号『新装五月特大号』
通刊第154号第15巻第06号昭和36年(1961)06月号『新装六月特大号』
通刊第155号第15巻第07号昭和36年(1961)07月号『新装七月特大号』
通刊第156号第15巻第08号昭和36年(1961)08月号『新装八月特大号』
通刊第157号第15巻第09号昭和36年(1961)09月号『新装九月特大号』
通刊第158号第15巻第10号昭和36年(1961)10月号『新装一周年記念特大号』
通刊第159号第15巻第11号昭和36年(1961)11月号『新装十一月特大号』
通刊第160号第15巻第12号昭和36年(1961)12月号『新装十二月特大号』
--昭和37年(1962)--
通刊第161号第16巻第01号昭和37年(1962)01月号『カバーガールを縛る』
通刊第162号第16巻第02号昭和37年(1962)02月号『契約書』
通刊第163号第16巻第03号昭和37年(1962)03月号『暗黒の麗人』
通刊第164号第16巻第04号昭和37年(1962)04月号『マミと忍』
通刊第165号第16巻第05号昭和37年(1962)05月号『宇宙のどこかで』『奇譚三十九夜物語』
通刊第166号第16巻第06号昭和37年(1962)06月号『裸形の賂』『鉄の指』
通刊第167号第16巻第07号昭和37年(1962)07月号
通刊第168号第16巻第08号昭和37年(1962)08月・09月合併号『ハラキリ抄』
団鬼六(当時は花巻京太郎のペンネーム)『花と蛇』の連載開始
通刊第169号第16巻第09号昭和37年(1962)10月号
通刊第170号第16巻第10号昭和37年(1962)11月号『世界に於ける刑罰の種々相』
通刊第171号第16巻第11号昭和37年(1962)12月号『新鋭・十二月号』
--昭和38年(1963)--
通刊第172号第17巻第01号昭和38年(1963)01月号『江戸時代の刑罰の処刑』『御仕置おぼえ書』
通刊第173号第17巻第02号昭和38年(1963)02月号
通刊第174号第17巻第03号昭和38年(1963)03月号
通刊第175号第17巻第04号昭和38年(1963)04月号
通刊第176号第17巻第05号昭和38年(1963)05月号
通刊第177号第17巻第06号昭和38年(1963)06月号
通刊第178号第17巻第07号昭和38年(1963)07月号
通刊第179号第17巻第08号昭和38年(1963)08月号
通刊第180号第17巻第09号昭和38年(1963)09月号
通刊第181号第17巻第10号昭和38年(1963)10月号
通刊第182号第17巻第11号昭和38年(1963)11月号『〔告白・手記・体験〕特集号』
通刊第183号第17巻第12号昭和38年(1963)11月臨時増刊号『写真と絵画〔文献〕特集』
通刊第184号第17巻第13号昭和38年(1963)12月号
--昭和39年(1964)--
通刊第185号第18巻第01号昭和39年(1964)01月号
通刊第186号第18巻第02号昭和39年(1964)02月号
通刊第187号第18巻第03号昭和39年(1964)03月号『内容刷新〔記念〕特別号』
通刊第188号第18巻第04号昭和39年(1964)04月号『内容刷新〔記念〕特別号』
通刊第189号第18巻第05号昭和39年(1964)05月号『内容刷新〔記念〕特別号』『花と蛇』
通刊第190号第18巻第06号昭和39年(1964)06月号『KKグラビヤ悦虎フオト回顧
通刊第191号第18巻第07号昭和39年(1964)06月臨時増刊号『花と蛇〔絵画、写真、小説〕特集号』
通刊第192号第18巻第08号昭和39年(1964)07月号
通刊第193号第18巻第09号昭和39年(1964)08月号
通刊第194号第18巻第10号昭和39年(1964)09月号『懸賞〔告白、手記、体験〕入選作品発表
通刊第195号第18巻第11号昭和39年(1964)10月号
通刊第196号第18巻第12号昭和39年(1964)11月号
通刊第197号第18巻第13号昭和39年(1964)12月号
--昭和40年(1965)--
通刊第198号第19巻第01号昭和40年(1965)01月号『今日と明日の報酬』『美女決斗吉田御殿』
通刊第199号第19巻第02号昭和40年(1965)02月号
通刊第200号第19巻第03号昭和40年(1965)03月号
通刊第201号第19巻第04号昭和40年(1965)04月号
通刊第202号第19巻第05号昭和40年(1965)05月号
通刊第203号第19巻第06号昭和40年(1965)06月号
通刊第204号第19巻第07号昭和40年(1965)07月号
通刊第205号第19巻第08号昭和40年(1965)08月号
通刊第206号第19巻第09号昭和40年(1965)09月号
通刊第207号第19巻第10号昭和40年(1965)10月号
通刊第208号第19巻第11号昭和40年(1965)11月号
通刊第209号第19巻第12号昭和40年(1965)12月号
--昭和41年(1966)--
通刊第210号第20巻第01号昭和41年(1966)01月号
通刊第211号第20巻第02号昭和41年(1966)02月号
通刊第212号第20巻第03号昭和41年(1966)03月号
通刊第213号第20巻第04号昭和41年(1966)04月号
通刊第214号第20巻第05号昭和41年(1966)05月号
通刊第215号第20巻第06号昭和41年(1966)06月号
通刊第216号第20巻第07号昭和41年(1966)07月号
通刊第217号第20巻第08号昭和41年(1966)08月号
通刊第218号第20巻第09号昭和41年(1966)09月号
通刊第219号第20巻第10号昭和41年(1966)10月号
通刊第220号第20巻第11号昭和41年(1966)11月号
通刊第221号第20巻第12号昭和41年(1966)12月号
通刊第222号第20巻第13号昭和41年(1966)12月臨時増刊号『花と蛇〔小説・絵画〕特集号』
--昭和42年(1967)--
通刊第223号第21巻第01号昭和42年(1967)01月号
通刊第224号第21巻第02号昭和42年(1967)02月号
通刊第225号第21巻第03号昭和42年(1967)03月号
通刊第226号第21巻第04号昭和42年(1967)04月号
通刊第227号第21巻第05号昭和42年(1967)05月号
通刊第228号第21巻第06号昭和42年(1967)06月号 出版社 天星社 -> 暁出版(株)
---昭和42年(1967)4月21日、国鉄大局特別扱承認雑誌 第210号---
出版社の変更に伴い再取得して承認番号が122号から210号に代わりましたが、第三種郵便の認可及び雑誌コード(IBMナンバー)に付いては、そのまま継続した様です。(但し、雑誌コード/IBMナンバーは印刷されていない期間があります)
通刊第229号第21巻第07号昭和42年(1967)07月号
通刊第230号第21巻第08号昭和42年(1967)08月号
通刊第231号第21巻第09号昭和42年(1967)09月号
通刊第232号第21巻第10号昭和42年(1967)10月号
通刊第233号第21巻第11号昭和42年(1967)11月号
通刊第234号第21巻第12号昭和42年(1967)12月号
--昭和43年(1968)--
通刊第235号第22巻第01号昭和43年(1968)01月号
通刊第236号第22巻第02号昭和43年(1968)01月臨時増刊号『「花と蛇」特集号』
通刊第237号第22巻第03号昭和43年(1968)02月号
通刊第238号第22巻第04号昭和43年(1968)03月号
通刊第239号第22巻第05号昭和43年(1968)04月号
通刊第240号第22巻第06号昭和43年(1968)05月号
通刊第241号第22巻第07号昭和43年(1968)06月号
通刊第242号第22巻第08号昭和43年(1968)07月号
通刊第243号第22巻第09号昭和43年(1968)08月号
通刊第244号第22巻第10号昭和43年(1968)09月号
通刊第245号第22巻第11号昭和43年(1968)10月号
通刊第246号第22巻第12号昭和43年(1968)11月号
通刊第247号第22巻第13号昭和43年(1968)12月号
--昭和44年(1969)--
通刊第248号第23巻第01号昭和44年(1969)01月号
通刊第249号第23巻第02号昭和44年(1969)02月号
通刊第250号第23巻第03号昭和44年(1969)03月号
通刊第251号第23巻第04号昭和44年(1969)04月号
通刊第252号第23巻第05号昭和44年(1969)05月号
通刊第253号第23巻第06号昭和44年(1969)05月臨時増刊号『「花と蛇」特集号』
通刊第254号第23巻第07号昭和44年(1969)06月号
通刊第255号第23巻第08号昭和44年(1969)07月号
通刊第256号第23巻第09号昭和44年(1969)08月号
通刊第257号第23巻第10号昭和44年(1969)09月号
通刊第258号第23巻第11号昭和44年(1969)10月号
通刊第259号第23巻第12号昭和44年(1969)11月号
通刊第260号第23巻第13号昭和44年(1969)12月号
--昭和45年(1970)--
通刊第261号第24巻第01号昭和45年(1970)01月号
通刊第262号第24巻第02号昭和45年(1970)02月号
通刊第263号第24巻第03号昭和45年(1970)03月号
通刊第264号第24巻第04号昭和45年(1970)04月号
通刊第265号第24巻第05号昭和45年(1970)05月号
通刊第266号第24巻第06号昭和45年(1970)06月号
通刊第267号第24巻第07号昭和45年(1970)07月号
通刊第268号第24巻第08号昭和45年(1970)08月号
通刊第269号第24巻第09号昭和45年(1970)08月臨時増刊号『「花と蛇」決定版』832ページ(36mm)
通刊第270号第24巻第10号昭和45年(1970)09月号
通刊第271号第24巻第11号昭和45年(1970)10月号
通刊第272号第24巻第11号昭和45年(1970)11月号
通刊第273号第24巻第12号昭和45年(1970)12月号
通刊第274号第24巻第13号昭和45年(1970)12月臨時増刊号『女体緊縛写真集』
約10年間、刻印が停止されていた雑誌コードが復活しています。但し、恐らく誤植と思われますが1番違い(2806)に成っていて、翌1月号以降は正しい雑誌コード(2805)が刻印されています。
--昭和46年(1971)--
通刊第275号第25巻第01号昭和46年(1971)01月号
通刊第276号第25巻第02号昭和46年(1971)02月号
通刊第277号第25巻第03号昭和46年(1971)03月号
通刊第278号第25巻第04号昭和46年(1971)04月号
通刊第279号第25巻第05号昭和46年(1971)05月号
通刊第280号第25巻第06号昭和46年(1971)06月号
通刊第281号第25巻第07号昭和46年(1971)07月号
通刊第282号第25巻第08号昭和46年(1971)08月号
通刊第283号第25巻第09号昭和46年(1971)09月号
通刊第284号第25巻第10号昭和46年(1971)10月号
通刊第285号第25巻第11号昭和46年(1971)11月号
『花と蛇』連載終了
通刊第286号第25巻第12号昭和46年(1971)12月号
--昭和47年(1972)--
通刊第287号第26巻第01号昭和47年(1972)01月号
通刊第288号第26巻第02号昭和47年(1972)02月号
通刊第289号第26巻第03号昭和47年(1972)03月号
通刊第290号第26巻第04号昭和47年(1972)04月号
通刊第291号第26巻第05号昭和47年(1972)05月号
通刊第292号第26巻第06号昭和47年(1972)06月号
通刊第293号第26巻第07号昭和47年(1972)07月号
通刊第294号第26巻第08号昭和47年(1972)08月号
通刊第295号第26巻第09号昭和47年(1972)09月号
通刊第296号第26巻第10号昭和47年(1972)10月号
通刊第297号第26巻第11号昭和47年(1972)11月号
通刊第298号第26巻第12号昭和47年(1972)12月号
--昭和48年(1973)--
通刊第299号第27巻第01号昭和48年(1973)01月号
通刊第300号第27巻第02号昭和48年(1973)02月号
通刊第301号第27巻第03号昭和48年(1973)03月号
通刊第302号第27巻第04号昭和48年(1973)04月号
通刊第303号第27巻第05号昭和48年(1973)05月号
通刊第304号第27巻第06号昭和48年(1973)06月号
通刊第305号第27巻第07号昭和48年(1973)07月号
通刊第306号第27巻第08号昭和48年(1973)08月号
通刊第307号第27巻第09号昭和48年(1973)09月号
通刊第308号第27巻第10号昭和48年(1973)10月号
通刊第309号第27巻第11号昭和48年(1973)11月号
通刊第310号第27巻第12号昭和48年(1973)12月号
--昭和49年(1974)--
通刊第311号第28巻第01号昭和49年(1974)01月号
通刊第312号第28巻第02号昭和49年(1974)02月号
通刊第313号第28巻第03号昭和49年(1974)03月号
カラー緊縛グラビア写真が登場、これ以降は毎号カラー写真が掲載される様に成ります。初のカラー写真は通刊第38号 昭和27年(1952)01月号で遡る22年前に既に登場していますが、当時は未だ緊縛写真が少なく、緊縛かつカラーは、この号が初です。
カラー写真が常態となって、ちょうど1年後に休刊しますので吉田氏の体調が原因と言われていますが、カラーは市場調査の意味(つまり「花と蛇」連載終了後に落ちた売れ行きをカラー写真を導入して市場の反応を見て、それで駄目なら休廃刊を検討)も有ったのかもしれません。
通刊第314号第28巻第04号昭和49年(1974)04月号
通刊第315号第28巻第05号昭和49年(1974)05月号
通刊第316号第28巻第06号昭和49年(1974)06月号
通刊第317号第28巻第07号昭和49年(1974)07月号
通刊第318号第28巻第08号昭和49年(1974)08月号
通刊第319号第28巻第09号昭和49年(1974)09月号
通刊第320号第28巻第10号昭和49年(1974)10月号
通刊第321号第28巻第11号昭和49年(1974)11月号
通刊第322号第28巻第12号昭和49年(1974)12月号
--昭和50年(1975)--
通刊第323号第29巻第01号昭和50年(1975)01月号
通刊第324号第29巻第02号昭和50年(1975)02月号
通刊第325号第29巻第03号昭和50年(1975)03月号(休刊)
この号で一旦休刊しますが、奥付には投稿募集や今後のプラン等に付いて掲載されており休刊を予告するものはありません。
--昭和57年(1982)--
復刊記念号_第1巻第01号昭和57年(1982)03月号(復刊) 暁出版(株)->(株)きたん社
吉田稔から奇譚クラブの商標権を受け継いだ賀山茂の尽力によって七年越しの復刊となりました。表紙にはFranz von Bayros の絵が採用されています。
※表紙は復刊記念号としていますが、目次のタイトルは創刊号となっています。雑誌コード02805を吉田稔の時代から引き継いでいますので確かに復刊では有りますが、目次タイトルや内容からは新たに創刊した様な雰囲気もあります。
復刊第002号第1巻第02号昭和57年(1982)04月号『思い出の奇ク嬢たち』他
復刊第003号第1巻第03号昭和57年(1982)05月号『獣愛奇譚・犬と私と夫』他
復刊第004号第1巻第04号昭和57年(1982)06月号『カラーイラスト競艶』
復刊第005号第1巻第05号昭和57年(1982)07月号『淫縄狐火街道(2)美濃村晃』他
復刊第006号第1巻第06号昭和57年(1982)08月号『蜘蛛と蝶々』『旧号読者投稿作品特集』
復刊第007号第1巻第07号昭和57年(1982)09月号『懐かしの奇ク嬢たち』
復刊第008号第1巻第08号昭和57年(1982)10月号『生人形地獄』
復刊第009号第1巻第09号昭和57年(1982)11月号『湯の町情話・密通・村役場の珍事』『珍奇艶笑コレクション研究』
復刊第010号第1巻第10号昭和57年(1982)12月号『愚豪いさめ草・魔泉の宿・妻に群がる男たち』『妻の情事』『妻の恥態・花電車妻・他』
復刊第011号第1巻第11号昭和58年(1983)01月・02月合併号『狂へる人々・女郎蜘蛛』(この号以降は未確認)
--平成版-- 雑誌コード05322-xx(ここまで続いた02805-xxからは断絶している)
新装刊__平成09年(1997)11月 熟女秘宝館11月号増刊秋季特大号(出版50周年,新創刊ではなく新装刊)
新装2号平成10年(1998)03月 熟女秘宝館03月号増刊早春特大号
新装3号平成10年(1998)07月(この号以降は未確認)
※現在、とある事情で一部のリンクが切れていますが、おいおい回復してゆきます。
※画像は少しづつ追加してゆきます。画像の出所は私(龍)の蔵書スキャンに加え、くろねこさんのHPから拝借したものも多数有ります。カストリ時代の表紙画像は蔵書に加えSMPediaとesme氏蔵書から拝借しました。
奇譚クラブ(雑誌)の全通刊番号・巻号のリストを作成したので公開 -> 筆者(龍)による独自調査(懐かしき奇譚クラブ・SMPedia・及び自己収集本150冊などを元に前後関係から誤植の割り出しなどを行いました。その際に情報を提供して頂いたくろねこさん他掲示板に投稿頂いた方々協力有難う御座いました。大量のスキャンデータはくろねこさんへ寄贈、調査結果はSMPediaへ反映してあります。)
※これはスキャンに際してカットされた奇譚クラブの背表紙。1個々々が1冊に相当し、この時点で90冊ほどあります。
特に初期の頃は本誌でさえ通刊番号や巻号の記載が無い物や誤植が多い事に加えて出版社が取次ぎを介さず書店に直接営業を行い各店舗に販売しており数千部程度しか流通しておらず、かつ半世紀以上経過しカストリ紙の為に劣化も激しく把握が難しい(と言い訳を列記してみたw)。その為、この一覧は前半45号までの間に若干の間違いを含んでいる可能性が有りますが、元が誤植や未記載の塊であり間違いを証明する事も困難かもしれません。しかし後続の通刊番号や巻号の根拠はこの時代に有る訳であって本邦の如く神話の世代とも言え、この通刊番号・巻号がなければ後続は全て根拠の無い間違い番号と成ってしまいます。逆に、45号以降に間違いの可能性は非常に低く、後半は比較的良好な状態を保っているものが多く通刊番号と巻号がしっかり併記されており把握が容易でした。SM誌としてSMに傾倒してゆくのはA5版からと言われていますが、私の意見としては45号からと考えています。
B5版初期は数枚のカストリ紙(仙花紙)を中綴じした新聞程度のボリュームの雑誌ですが、B5版の途中(須磨利之が参加した頃)から100頁を超え、複数の紙種を使った平綴じへと変化してゆき、A5版では200~300頁前後と通刊80号で一旦休刊するまでは増え続けて行きます。
1949年の曙書房時代に別冊が3冊確認されています。1960年代の天星社時代にも別冊が出版されていますが、天星社時代の別冊は第1巻第1号の創刊号として記載されており1949年の別冊とは異質の別冊として出版され独自の巻号が付与されている事が判ります。
別冊奇譚クラブと奇譚クラブ限定版特別号は昭和36年(1961)1月に合併したらしく『別冊奇譚クラブ特別号』という長いタイトルで出版されました、その事を表現するかの様な二人の女性が歩み寄る表紙絵が象徴的に映る。別冊及び限定版特別号は通刊番号に含まれない為に実態把握が難しいのですが本誌広告も含めこれ以降に別冊や限定版特別号は見付かっていません。
終盤、通刊325号を最後に永らく休刊状態となり7年後に復刊号が登場、同一の雑誌コードで復刊している事から少なくとも出版業界では同一誌として取り扱われていた事に成ります。但し、その後に登場した平成版では雑誌コードが異なっている為、同じ雑誌とはみなされていなかった可能性が高いと思います。しかし平成版には昭和40年代初期に奇譚クラブに掲載されていた記事が再掲載されている事から、何らかの繋がりが有ると思われます。