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龍之巣
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Franz von Bayros
Franz von Bayros (1866 – 1924)は、前回の記事で書きましたChéri Hérouard (1881 - 1961)より遡る15年ほど早く生まれた画家・イラストレータで、エロティックなSM画を遺しています。後期のハプスブルグ帝国/オーストリア=ハンガリー帝国時代のザグレブ(現:クロアチア)に生まれ育ち、フランスに滞在していた時期が有る事からChéri Hérouardとも何らかの繋がりが有ったかもしれません。

彼は、作曲家・ワルツ王として名高いJohann Strauss II (1825 - 1899)の養女と結婚している事から、それなりの家柄という事がうかがえると思います。といいますか、そもそも von と綴っているのですから貴族又は準貴族(=領地所有を認められ不労所得が有った)であろうと思われます。

例によってネットから適当に拾ってきた絵です。コメントは私(龍)の率直な感想であり、真実とはイコールでない可能性が有ります。

全体を通して、無毛または非常に薄い毛で描かれている事が多い様です。

最初に私が軽い衝撃を受けた絵はこれです。
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今から100年以上も昔にこんな絵が描かれていた事に軽い衝撃を受けました。
但し、当時、紙が高価だった頃は(本邦に於いても)トイレの後に似た光景が日常的に有った様ですから、責めではなくトイレ後にそういった類似の行為をしているだけなのかもしれません。しかし横でそれを眺めている少女や、跨いでいる女性本人の恍惚とした表情などが色々な想像を掻き立てます。誰かに命令されてやっているのか?それとも自ら跨いで擦り付けたのか?などなど・・・

こちらは、どこかの神社の御神体の様な巨大なブロンズ像?に少女が拘束されており、後ろに控えた女性が鞭を隠し持っている事が判ります。
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ブロンズ像らしき物の下には火をくべて有りますが、この熱が徐々に像を伝って拘束された少女に伝わり、じわじわと灼熱地獄に、或いは炎の先端が女性自身を炙り・・・

この絵は太い柱に紐で拘束された女性を鞭で責めている絵ですが、
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責め側の男性らしき人物の履物がハイヒールという点に興味を持ちました。同時代の男性には現代の女性が履く様なハイヒールを履く習慣が有ったのか?それとも、フェチ的な趣味趣向で履いて(履かせて)いるのか?

こちらは、孔雀の羽を使ったスパンキングの様に見えますが、その効果は私には全く想像が付きません。
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私(龍)が子供の頃、近所に住んでいた方が孔雀を数種数匹飼っていた為、孔雀の羽がそれ程硬くない、せいぜいハタキ程度の効果しか(孔雀の羽は結構硬い様です、子供の頃の記憶はあてに成りませんでした)・・・と書いていて気付きましたが、これは恐らく彼の地での当時のハタキですね。ハイヤーの運転手が車を掃除する時に類似の物を見掛けるような気がします。毛を取り除いて芯だけにして数本束ねたら結構な威力が有りそうな気がします。

これは見たまま吊りですね。
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足首を縛った縄が食い込まない様にあて布(又は革)を巻いてあり、それなりに考慮されて書かれている様です。はたで見ている放蕩貴族っぽい成年の竿がカワイイですね。

こちらは女主人と黒人奴隷の構図に見えますが・・・
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この絵には The Rival というタイトルが付けられていましたので、旦那の愛人・妾に成った黒人奴隷を何かと理由を付けて日常的にイビリ責める本妻という構図かもしれません。
彼の描く黒人は痩せている事が多いのですが、この黒人女性は肉付きが良いので健康的な食生活を可能とする待遇が与えられていた事を示している様に思います。
犬は、黒人奴隷のスカートに隠れる旦那を暗に(そう思いたい人向けに)表現している様にも見えます。

こちらは背景等から察するに広大な領地を有する支配層の女性が、罪人、敵地の住人、使用人などをズラリと並べて拘束させ、その処分を考えているのではないでしょうか?
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手にした鞭は、その形や長さからDressage whipではないかと思われます。
この女性自身も胸を露出している事から、単なる刑罰ではなく、性的な意味合いを多分に含んだ状況ではないでしょうか?

この絵の特徴は、今まさに切り落とされようとしている状況で男性がエレクトしている事ではないでしょうか?
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つまり、作者はMであった可能性が有りそうです。

この絵は黒人奴隷にクンニリングスをさせながら自身は手で相手の秘部を悪戯しつつ、時々臀部を叩いていたようなシチュエーションではないでしょうか?
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手に持っている物が何か判りませんが、紐っぽいですね。

こちらはSMとは直接関係有りませんが・・・
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当時から、こんな物が有った事に驚きました。或いは贋作か?

最後に、SMとは全く関係ありませんが・・・
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ちょんまげ+花魁?でしょうか?
辮髪の生首らしき物を持っている事が何かを物語っている様に思います。
当時は日英同盟から日露戦争へと続く時代と重なっており、日本がヨーロッパで認知され始めた頃、そういった関係で描かれたものかもしれませんね。
Cheri Herouard
Chéri Hérouard (1881 - 1961) (今から100年程前に活躍したフランスの画家/イラストレータ、主に La Vie Parisienne 誌で活躍、当時のイラストが奇譚クラブの表紙絵として多数採用されていた、責め絵で有名な伊藤晴雨(1882 - 1961)と生没及び活躍年代がほぼ同じ) に付いて、主にSM画をネットで集めてみました。

彼はコミック形式の絵と文章を織り交ぜストーリー仕立てにした出版物のパイオニアとしても知られていた様です。
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余談ですが畔亭数久は、彼の画風のみならずコミック形式も真似ており、彼の作品と同様に吹き出しではなく欄外に台詞を記載した漫画を奇譚クラブに寄稿しています。

ここから本題に入りますが、彼はSM画を描く際にHerricというペンネームを使って他の仕事と区別していた様です(下図参照)。
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100年前、既にSM漫画の原型とも言える物(但しSM画はマンガの様な体裁にはされていなかった様ですが)がここまでの完成度で存在していた事に驚愕します。この当時、日本は明治~大正時代であり艶本の様な文化が既に日本にも有りましたが、印刷・製本の技術を残して時代と伴にその中身(文化・コンテンツ)は忘れ去られ、こういった西洋の文化・コンテンツに入れ替えられていった様に思います。

Chéri Hérouard の描くSM画の傾向として鞭打ちやスパンキング等の打撃系が多く、打撃部位が殆ど尻に限定しており、他の絵やイラストと異なり男性は殆ど登場せず、また、メイドが多数登場するのも特徴と言えます。但し、ネットで拾った画像を並べてそう感じただけの事で、実際にはもっと多種多様の責絵が有るのかもしれません(つまりネットにアップした人物の趣味趣向が女同士かつ打撃系が好きだっただけという可能性もあります)
※下の画像は適当に拾ってきたので、もしかしたら別の画家の絵が混じっているかもしれません(とは言え画風や特徴等から恐らく全て本人の作ではないかと思われます)。

●ストックウィップ
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左側の4枚は良いとして、一番右の絵は鞭を振り下ろす位置に無理が有りますね。一番右は構図として若干失敗している感があります。但し、メイドが鞭の扱いに慣れていないことを表現しているのかもしれず、ストーリーを付ければ失敗どころか正確な描写とも言えそうです。左から2番目は高確率で自分自身の足に鞭の先端が当たる気がしますが、熟練者ならそんな心配も不要でしょう。

●短鞭
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左の絵は下敷きにされている女性が鞍(又は鞍褥)として固定され馬の尻と尻を並べている格好が奇抜で好きです。右の絵は黒い衣装を着せた女性が青毛の馬役なのかもしれませんね。

●キャットオブナインテイル(左)/バラ鞭(右)
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ありがちな構図なので特にコメントは有りません。

●ベルト
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バックル側を先端にして振りかざしている為、危険というか強烈でしょう。バックルの尖った先端が突き刺さり一発目で流血沙汰に成る可能性もありますので真似されない様に(バックル側を持ちましょう)・・・

●バーチング (Birching)
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素材は恐らく樺や柳の枝を束ねたもので、恐らく棘の有る状態で乾燥させて束ねた物ではないかと思います。使用時には塩水に漬けてから使う事も多く、打撃による直接の痛みではなく、棘による細かな無数の刺激と、その後に襲って来る細かな裂傷からくる痛痒さを狙った責めではないかと思われます。

●ハンドスパンキング
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一番右の絵はスパンキングではなく単にエロオヤジがスカートを捲って下着を覗いているだけかもしれませんが、スタイルとしてはOTK(Over the Knee)の導入部分の様に見えた為、掲載しました。

●拘束具
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●吊り
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●浣腸又は膣内洗浄か?それともローション注入?
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これがもしローション注入とするなら、あまり好きではないが家柄が目当てで嫁いだ先でメイドに指示して入れさせているようなシーンかもしれません。但し、それにしては器具が大き過ぎるので、やはり浣腸又は膣内洗浄でしょう。膣内洗浄とするなら洗浄液の受け皿やタオルが描かれていませんので、残るは浣腸という事に成りそうです。浣腸とするなら便秘解消の為に女性本人がメイドに指示してやらせていると思われ、いづれにしろ、男性はそれを壁の穴から覗いているという事ではないでしょうか?

●女主人と奴隷
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●その他
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一番右のイラストはSMと言えるかどうか微妙ですが、正座した女性が中腰で目の前に立っている女性の菊座に息を吹きかけているシーンの様に見えます。正座した女性(又は彼女に命令した人物)が相手の菊座がヒクヒクするのを見て楽しんでいるとするなら私の大好きな分野です。残念なのは立っている女性の表情に恥ずかしさがあまり表れていない事です。他にどんなシーンが想定されるでしょうか?あとはこの時の台詞次第ですね・・・

●乗馬
SMとは直接関係ありませんが、なかなか正確に馬装と馬の表情を描いているので掲載してみました。乗馬に深く関っていないと、ここまで正確に馬装や表情を描く事は難しいと思います。
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大勒・水勒(小勒)をセットにした頭絡にアマゾン鞍、水勒手綱にはマルタンガールが取り付けられており、大勒手綱のみを片手手綱でルーズに持ち、もう片方の手で猟騎鞭を持ち正装をしている事から、恐らく狐狩りの前にリラックスして何かを待ちつつイヌの様子を見ている風景ではないでしょうか?野外騎乗で大勒をルーズに持つ手法はウエスタンでは一般的ですが、狐狩りの様な激しい運動を長時間する際にも同様の手綱捌きが有効なのは容易に想像出来ます。戦前の騎兵隊の写真を見た事が有りますが同様に大小付けて乗っており、大勒手綱のみを片手手綱でルーズに持っていましたので、野外騎乗で大小付ける時はこういった握り方が一般的だったのかもしれません(私は馬場内でしか大小付けた事がありません。野外はウエスタンの馬装でルーズレインにするか、水勒でタイトに口当たりを探ります、但し長時間の野外で水勒は精神的に疲れます)。後ほど文献など漁ってみようと思います。馬の耳が前方を向いておりますので、馬は若干緊張しながら周囲(特に前方数m~数十m先)に気を配っている様です。ここまで正確だと写真をトレーシングペーパーの様な物で丁寧に転写したのかもしれませんね。
日本のメディアが壊れてしまった原因
 以前書きました『なぜBDSMは日本とドイツで盛んなのか?』の記事ですが、当初は純粋にタイトル通りの疑問が出発点と成ってブログ記事を書き始めましたが、調べれば調べるほどに戦後日本に於ける秘匿検閲とプロパガンダが発端ではないかと思う様に成りました。その根拠は冒頭の記事にも書いておりますが一言で言えば国立国会図書館に保管されているJCS1380/6 及び JCS1380/15に集約されていると言えそうで、その骨格は当時のAP通信社編集局長Byron Price(1891–1981)が起こしており、具体的な手法は当時のスタンフォード大学教授で洗脳・催眠の専門家・第一人者であったErnest Ropiequet Hilgard (1904-2001)が担っていました。

 その結果、戦後のメディアはほぼ完璧かつ全面的に連合国側に操縦されていたのですが、時代と伴にそれがメディア業界全体のルールとして定着してしまい、一人歩きしはじめ、或いは連合国の占領が終了した後に(連合国による)舵取りを失って無軌道に迷走を始めた事がメディアが壊れた原因ではないかと思う様に成りました。逆に言えば、舵取り役を置いては成らないというルールも決めており、つまり、一手に舵をとって操縦すれば特定の方向に誘導可能ですが、その舵を手放した後には再び握ってはいけないというルールによって、元の位置には戻れなくなった訳です。ここで私は戦前の(公表された形の)検閲が有る状態を100%良い状態と書いている訳ではありません。戦後、日本人には情報を取捨選択する権利が無く、連合国の秘匿された検閲によって取捨選択され、それが元々日本人の自由意志であったかの如く情報操作されており、かつ、メディア自身がそれに気付いていない(又は、気付いていても無かった事にしたい)点を挙げたい訳です。

 初期の構造としてはメディアに携わる一部の管理職のみが連合国側からの教育指導(具体的な教育方法は後述)を受けて動いており、かつ、末端の人々には連合国側の教育指導方針である事を伝えてはならないと教育されていた為に、それをあたかも自社の編集方針として部下に伝えてOJTの連鎖が始まり、それが業界の空気として定着し、或いは空気によって人が選別されてゆき、メディアに携わる末端の人々は連合国側の意向である事を認知する事が出来ないまま成長し、管理職となり、代々受け継がれるという連鎖が起きている様です。占領初期には占領軍による検閲行為がメディアに従事する人々に伝わっていた様ですが、少しづつ影を消していった様です。

 その結果、御存知の通り、昭和の時代にはアメリカの映画(西部劇やディズニーなど)が流行し、アメリカやイギリスの音楽(ビートルズやロック/ロカビリー)が流行し、アメリカのスポーツ(野球)が流行し、アメリカの食品(マクドナルドや学校給食のパン)が流行し、アメリカのファッション(ジーンズなど)が流行し、それらが日本人の深層心理にまで根付き・・・メディアは連合国の文化一色に染められてゆき、それがカッコ良くて日本に元から有った物は劣るんだという方向に、あたかもそれが主流であり自然にそうなっているかの如く巧妙に誘導され、そういった物が日本に元から有った文化と融合して平成文化の基礎を形成していると言えるのではないでしょうか? 色々な国を旅行すれば判りますが、日本ほど近代アメリカの文化が浸透している国は非常に少ないのです。これらの現実は連合国以外の国に旅行してみないと気付く事さえ出来ませんが、明らかにメディアの影響と言えるでしょう。結果、日本の伝統文化を継承してきた職人さん達は廃業してゆき、アメリカで10年前に流行したものの売れ残りが日本で売られる様に成りました。

 メディアと同様に、教育や教科書問題に付いても同様の事が言えるでしょう。戦前に有った道徳教育(修身など)は軍国主義は悪というキャッチコピー(しかしアメリカは世界最大の軍事大国であり、大量殺戮兵器=原爆を使った唯一の国であり、一般市民を連日絨毯爆撃した唯一の国でもあり、またキリスト教を暗黙の国教としている国でもある)を使って全面廃止され無くなってしまった訳で、イギリス植民地で行われていた様なキリスト教=道徳という宗教道徳教育も戦後日本では政教分離によって国として禁止されている為、現在の日本は道徳の無い無軌道な国に成っている訳です。従って親などからの習慣や風習の伝達行為が道徳教育の代わりに成っている訳ですが、戦後日本は男尊女卑というキャッチコピーの下に男女平等という文化を導入されて両親が共働きして子育てに割く心の余裕が無くなり、家長制度廃止や核家族化と一体と成って習慣や風習を代々受け継いで行われる道徳教育を妨げる社会構造に作り変えられた訳です。

 ネットが無い時代はメディアが全ての情報を握っていましたが、ネットの普及によってメディアによる情報操作が暴露され始めたと同時に、ネットの情報は多勢に無勢な面もあり、中華××共和国の様な人口の多い国による情報操作には対抗が難しい面が有ります。掲示板にサクラが多数居れば、それが真実であるかの様な操作は容易です・・・これは今回の話題から外れているか・・・

 ---書き掛け---
SMにおける責めと、拷問の違い
一言で言ってしまえば、性的興奮を伴うか?

冒頭の一行で解決してしまいましたが・・・

ですが、一方的に興奮した場合は、他方の視点で見れば拷問という事に成りますから興醒めです。

やはり私としては一方的な形ではなく、被虐による相手の興奮が高い程に私も興奮度が高まりますので、そういった関係がベストです。縛ったり叩いたりしても何も反応しない相手は、つまらないものです。とは言え芝居をされても醒めてしまうだけなので、本物のマゾか、少なくとも素質が無いと相手をするのは難しいでしょう。

ここで問題に成るのは精神面と肉体面です。精神面をここであえて割愛しますが、肉体面では責め方の方法や強度などで、例えば軽い縛りでも被虐感を感じられるならそれで十分ですが、軽く縛っただけでは何コレ?で終わってしまう子もいます。その境界線をつかむのは中々難しいものがありますし、M女には私のそんな苦労は多分理解出来ないでしょう。

しかし、必要以上の加虐は相手の限界点を超えて拷問に成ってしまう可能性がありますので、何でもかんでも強くすれば良いという訳でなく加減が重要でしょう。但し拷問される事で始めて被虐感を感じて興奮する様な相手は中々厄介です。そういう子は、たった数回の、或いは1回だけの記憶で一生過ごせるのかもしれません。
私の場合、拷問に成ってしまうと精神的に数分も持たないでしょうし、過去の経験では一瞬で醒めてしまい素に戻って普通に相手を心配してしまいます・・・ところで、私の定義する拷問というのは、性的な興奮を伴わない虐待行為ですから、こういった状況は拷問ではありません。

例えば肉体的な限界点が低く、精神的な境界点が高い子は厄介です。具体的には、肌が弱くて軽く縛っただけで水ぶくれが出来て爛れてしまう様な肌質にも関わらず雁字搦めにして鞭で強打しないと感じないM女は中々厄介です。楽しいですけどね。

とにかく反応があれば、こちらも高揚し、相乗効果で体力の限界まで何時間でもということもありますが、どちらかの体力が不足していると精神的には満たされないまま終わらざるをえない場合もあるでしょう・・・

白目を剥いて気絶した後に目が覚めてから「これだけ?もう終わりなの?」を何度も繰り返す様なM女も居ますが、気絶した自覚が無いのも厄介ですね。たぶん途中からの記憶が無い為、中途半端に感じている時の記憶の次の瞬間が目覚めた時なんでしょうが、実際は記憶を失うくらいの絶頂感を何度も味わっている訳です・・・・
サド と マゾ の定義
根本的で基本的な事ですが、サドとマゾに付いて改めて真剣に、真面目に考えてみたいと思います。

サディズム(Sadismus)やマゾヒズム(Masochismus)と言った言葉は、ドイツのRichard von Krafft-Ebing/エビング男爵という精神科医による造語で、彼の著書に記載されたのが発端となる精神医学用語です。

世界保健機構(WHO)による疾病及び関連保健問題の国際統計分類(略称:ICD)第10版には以下の記載があります。
 第5章 精神および行動の障害
  1-7 成人の人格及び行動の障害
   F65 性嗜好障害
    F65.5 サドマゾヒズム

日本では総務庁告示及び厚生労働省の規定により、このICD第10版を採用し分類しています。

しかしアメリカでは事情が異なり、WHOとは別にアメリカ精神医学会が独自に作成した Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (略称:DSM) という精神障害の診断と統計の手引きがあり、1987年版DSM-III-Rにはサディズムが精神障害として診断方法と伴に記載されていますが、次の1994年版DSM-IVで削除され、最新版DSM-5が今年2013年に発表されましたが、サディズムは削除されたままとなり、1994年以降のアメリカではサディズムの定義が曖昧(又は未定義)な状態が続いている様です。1994年の改訂ではWHOのICDとの整合性をとるための改訂のハズですがICDに記載のあるサドマゾに付いてDSMでは削除されたのはアメリカらしい事情が有るのではないかと推測します(例えばサディストである事を公言すると精神病院に強制的に入院させられてしまうので困る人々が居るから・・・など)。

さて、以下では、可能な限り短い文章で、かつ可能な限り的確にサド・マゾを説明してみます。
※この頁には元々、思慕、畏怖、愛玩などの感情に付いて上手く表現できていない旨を記載しておりましたが、愛慾という言葉を追記する事で上手く表現できたと思っています。



サド
 1)Donatien Alphonse François de Sade/Marquis de Sade/マルキ・ド・サド/サド侯爵本人
 2)加虐性欲者/加虐愛慾者
   (精神的 and/or 肉体的)苦難を与える事で性的に興奮,或いは愛慾的に喚起される人
 3)フロイト説
   自分自身にされるだろうと恐れていることを他者にすることができるときのみ性的喜びを遂げることが出来る人

サディズム
 1)加虐性欲/加虐愛慾(サドの項を参照)

サディスト
 1)加虐性欲者/加虐愛慾者(サドの項を参照)

サディスティック
 1)加虐性欲的/加虐愛慾的な様子・表現・ニュアンス

真性サディスト
 1)疑いようのないサディスト
 2)強烈なサディスト、ハードな加虐を好むサディスト

ドS
 1)強烈なサディスト、真性サディスト
 2)SMに詳しくない人が攻撃的・能動的な人に使う形容詞(形容動詞/ナ形容詞)


 1)サディスト
 2)SMに詳しくない人が攻撃的・能動的な人に使う形容詞(形容動詞/ナ形容詞)



マゾ
 1)Leopold Ritter von Sacher-Masoch/レオポルト・フォン・ザッハ=マゾッホ/マゾッホ伯爵本人
 2)被虐性欲者/被虐愛慾者
   (精神的 and/or 肉体的)苦難を受ける事で性的に興奮,或いは愛慾的に喚起される人
 3)フロイト説
   性交についての不安や罪意識によってオーガズムが妨げられており、それらが自身の苦痛や罰によって軽減される人

マゾヒズム
 1)被虐性欲/被虐愛慾(マゾの項を参照)

マゾヒスト
 1)被虐性欲者/被虐愛慾者(マゾの項を参照)

マゾヒスティック
 1)被虐性欲的/被虐愛慾的な様子・表現・ニュアンス

真性マゾヒスト
 1)疑いようのないマゾヒスト
 2)強烈なマゾヒスト、ハードな被虐を好むマゾヒスト

ドM
 1)強烈なマゾヒスト、真性マゾヒスト
 2)SMに詳しくない人が被虐的・受動的な人に使う形容詞(形容動詞/ナ形容詞)


 1)マゾヒスト
 2)SMに詳しくない人が被虐的・受動的な人に使う形容詞(形容動詞/ナ形容詞)


--定義はここまでとして、以下、解説の様な脳内垂れ流し--

注意すべきは、視点によって解釈が異なる事だと思います。
同じ物や同じ行為であっても、それを見る人の視点によってサディスティックにもマゾヒスティックにも或いはSMではない虐待や暴力として映ることにも成り得ると言う事です。

私に寄せられる相談のなかに「『お前はMじゃない、Mとはこういうものだ』と言われたのですが、それが出来ない私はMじゃないのでしょうか?」とか「『苦痛系ですか?服従系ですか?』と聞かれてよく判らなかったのですが、私はどっちですか?」といった相談がありますが、はっきり言って第三者によるそういった投げかけはM女性が混乱し変な影響を与えてしまうだけで百害有って一利無しです。

重要な事は、当事者本人加虐被虐によって性的に興奮,或いは愛慾的に喚起される事が条件ですから、
 1)愛を伴わない性欲だけのSMもある
 2)一方的なサドや、一方的なマゾもある
 3)本人がSMだと感じても第三者視点でそうとは限らない(逆も然り)
 4)サドとマゾの両方の資質を同時に兼ね備える場合もある
という事に成り、本人ではない第三者の意見は全く関係ありません。

自虐行為を行う人は、両方の資質を備えている可能性が高いと思います。もしくは元々マゾヒストであった人が、責められたい衝動に駆られてやむなく別人格を自己の中に作り出してしまった可能性もありそうです。

一方的なサドは性犯罪者として実刑の対象に成り得る点で、最もアウトロー的と言えそうです。
一方的なマゾは公衆の面前で猥褻物を披露したり、一方的に主と決めた相手をストーカーしない限り違法性は無さそうです。

 別の視点からは、例えば、好戦的で攻撃的な人であっても性的或いは愛慾的にはマゾである可能性が有り、逆も然り、平和的で穏健的な人であっても性的或いは愛慾的にはサドである可能性もありそうです。例えば前者は反撃や罰を期待して攻撃してしまうM、後者は自分への攻撃を恐れて自制的・穏健的に振る舞い、その捌け口としてサディストに変貌するといった事が有り得ると思います。